榎木町
えのきちよう
町の中央北寄りを東西に二条通が通り、西側を南北に寺町通が通る。南寄りを押小路通が通る。
町名は、承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図、寛永以後万治以前京都全図に「青貝町」とみえる。その後、筆描図系絵図は「二条辻子」と記す。木版図系では寛保初京大絵図に「ひの口」、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」は「榎木町」、天保二年(一八三一)改正京町絵図細見大成は「榎丁」とする。
榎木町
えのきちよう
南北に通る間之町通を挟む両側町。東側は渉成園に接する。
平安京の条坊では、左京七条四坊二保三町の南側の地。
町の形成は、寛永一八年(一六四一)以降の市街地化によるものであろう。承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図に「ゑノ木丁」と記され、以後変化はない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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