樋口誠三郎(読み)ヒグチ セイザブロウ

20世紀日本人名事典 「樋口誠三郎」の解説

樋口 誠三郎
ヒグチ セイザブロウ

明治期の陸軍少将



生年
文久2年6月13日(1862年)

没年
大正10(1921)年11月17日

出身地
丹波国篠山(兵庫県)

学歴〔年〕
陸士〔明治15年〕卒

経歴
丹波篠山藩士・樋口易貢の三男に生まれる。明治9年もと藩主・青山忠誠召命により上京、15年陸軍士官学校を卒業して陸軍工兵少尉となる。27年日清戦争には中隊長として混成第12旅団に属し威海衛攻撃に奮戦、絵草紙にまで掲載された。のち陸軍士官学校教官、陸地測量部班長、陸軍大学校教官を経て、35年工兵中佐に昇進、工兵第4大隊長を務める。37年日露戦争には第2軍第4師団に属して従軍大佐に進み、39年陸地測量部三角科長となった。45年少将。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「樋口誠三郎」の解説

樋口誠三郎 ひぐち-せいざぶろう

1862-1921 明治時代軍人
文久2年6月13日生まれ。丹波篠山(ささやま)藩(兵庫県)藩士の子。日清(にっしん)戦争,日露戦争に従軍,明治39年陸地測量部三角科長となる。45年陸軍少将。大正10年11月17日死去。60歳。陸軍士官学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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