樋貝詮三(読み)ヒガイ センゾウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「樋貝詮三」の解説

樋貝 詮三
ヒガイ センゾウ


肩書
衆院議長,国務相

生年月日
明治23年4月3日

出生地
山梨県日川町

学歴
中央大学法科 京都帝大英法科〔大正7年〕卒

学位
法学博士

経歴
逓信省から内閣法制局に転じ、恩給局長、法政局部長、保険院長官を経て、戦後は21年の選挙に郷里・山梨から出馬して当選。同年公職追放の三木武吉に代わって衆院議長に就任。新憲法の国会審議中、皇室財産問題をめぐって総司令部と対立、辞任した。24年第3次吉田内閣の国務相となり、共産党対策、警察機構の強化などを推進した。賠償庁長官もつとめ25年退官。その間、中大教授も務める。また自由党顧問兼常任総務、山梨県支部長なども歴任

没年月日
昭和28年1月1日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「樋貝詮三」の解説

樋貝 詮三
ヒガイ センゾウ

昭和期の政治家 衆院議長;国務相。



生年
明治23(1890)年4月3日

没年
昭和28(1953)年1月1日

出生地
山梨県日川町

学歴〔年〕
中央大学法科,京都帝大英法科〔大正7年〕卒

学位〔年〕
法学博士

経歴
逓信省から内閣法制局に転じ、恩給局長、法政局部長、保険院長官を経て、戦後は21年の選挙に郷里・山梨から出馬して当選。同年公職追放の三木武吉に代わって衆院議長に就任。新憲法の国会審議中、皇室財産問題をめぐって総司令部と対立、辞任した。24年第3次吉田内閣の国務相となり、共産党対策、警察機構の強化などを推進した。賠償庁長官もつとめ25年退官。その間、中大教授も務める。また自由党顧問兼常任総務、山梨県支部長なども歴任。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「樋貝詮三」の解説

樋貝詮三 ひがい-せんぞう

1890-1953 昭和時代官僚,政治家。
明治23年4月3日生まれ。逓信省をへて内閣恩給局長,保険院長官などを歴任。昭和21年衆議院議員(当選3回,自由党),衆議院議長となる。24年第3次吉田内閣の国務相(賠償庁長官)。中央大教授もつとめた。昭和28年1月1日死去。62歳。山梨県出身。京都帝大卒。著作に「恩給法原論」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「樋貝詮三」の解説

樋貝 詮三 (ひがい せんぞう)

生年月日:1890年4月3日
昭和時代の政治家。衆議院議員
1953年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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