日本歴史地名大系 「横浜館跡」の解説 横浜館跡よこはまたてあと 青森県:上北郡横浜町横浜村横浜館跡[現在地名]横浜町 館後通称館(たて)町の高台にある。明治初年の「新撰陸奥国誌」には「基跡高二丈四尺。三保川を要害とし、橋を替に出入せし所なり。橋柱の残れる所あり。海岸まて段々に構しものと見ゆ」と述べている。三保(みほ)川はもと館の南東を流れており、外堀の役目を果していたものであろう。同書は当時の大(おお)町は城隍であったという。享和三年(一八〇三)の仮名付帳に古館として「八幡太郎義家公蝦夷人退治御下り之節、御供之内佐々木権八郎・権太郎横浜村ニ御残置、大関・小関と御立被成候右人住居之由」と、大関氏・小関氏の居城と伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by