櫛淵荘(読み)くしぶちのしょう

改訂新版 世界大百科事典 「櫛淵荘」の意味・わかりやすい解説

櫛淵荘 (くしぶちのしょう)

阿波国那賀郡(現,徳島県小松島市)の荘園。石清水八幡宮領で,櫛淵別宮ともいう。祠家の田中氏に伝領されており,1205年(元久2)田中通清がその子宗清に譲っている所領のなかにあらわれるのが初出。承久の乱後,秋本二郎兵衛尉が新補地頭として入部し,入部直後の1222年(貞応1)から良田を地頭分と称して押領するなど,はげしい地頭非法を展開する。八幡宮側は鎌倉幕府に訴え,非法停止の六波羅下知状をうけるが地頭非法はやまず,争いは秋本左衛門次郎泰恒の代まで60年にわたりつづく。1281年(弘安4)にいたり,60年間の未進分年貢の清算,領家方と地頭方との下地分割などを条件とした和与が成立した。南北朝動乱期以後,阿波守護細川氏の力が徐々におよんでいき,結局,守護請の荘園になっていく。八幡宮にのこされたのは,わずかに公文職・田所職のみであった。1400年(応永7)を最後にこの荘園は史料上から姿を消す。
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百科事典マイペディア 「櫛淵荘」の意味・わかりやすい解説

櫛淵荘【くしぶちのしょう】

阿波国那賀郡にあった石清水(いわしみず)八幡宮領の荘園。現徳島県小松島市の南西山間部に比定される。櫛淵別宮ともいわれた。1017年に後一条天皇により寄進され,石清水八幡宮祠家の田中氏に伝領された。承久の乱後新補地頭として秋本二郎兵衛尉が補任されると,貞応(1222年−1224年)頃からその代官による非法が続き,八幡宮は鎌倉幕府に数度にわたり濫妨の停止を訴え出ている。1281年に領家方と地頭方の間で,下地中分(したじちゅうぶん),地頭未進分の弁済などの条件で和与(わよ)が成立した。南北朝期の1334年には一時地頭職が八幡宮社家に付せられたが,1396年には守護請の地となっており,領家職ならびに公文田所職のみが八幡宮に残された。

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