デジタル大辞泉
「後一条天皇」の意味・読み・例文・類語
ごいちじょう‐てんのう〔ゴイチデウテンワウ〕【後一条天皇】
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ごいちじょう‐てんのうゴイチデウテンワウ【後一条天皇】
- 第六八代天皇。一条天皇の第二皇子。母は藤原道長の娘彰子。名は敦成。長和五年(一〇一六)即位。在位二一年の間、道長が摂政となり、外戚として権勢をふるう。寛弘五~長元九年(一〇〇八‐三六)
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後一条天皇
没年:長元9.4.17(1036.5.15)
生年:寛弘5.9.11(1008.10.12)
平安中期の天皇。名は敦成。一条天皇の第2皇子で母は藤原道長の娘中宮彰子。外祖父の土御門殿で誕生した前後の様子は『紫式部日記』に詳しい。道長は生後間もないこの孫を抱きオシッコをかけられ喜んでいる。誕生の年に親王宣下,三条天皇の東宮となったのち,長和5(1016)年,9歳で即位とすべて道長のお膳だて通りだった。当初は敦明親王が東宮であったが,1年余後には実弟の敦良親王(のちの後朱雀天皇)が立太子。即位直後1年ほど道長が摂政,その後は頼通が継いだ。寛仁2(1018)年,11歳のとき叔母の威子(20歳)が中宮となりふたりの内親王が誕生したが,皇子はいなかった。叔母との結婚は道長がとった政策による。陵は京都市左京区吉田神楽岡町の菩提樹院陵。
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後一条天皇
ごいちじょうてんのう
(1008―1036)
第68代天皇(在位1016~36)。一条天皇第2皇子。母は藤原道長の女(むすめ)彰子(しょうし)。諱(いみな)は敦成(あつひら)。一条天皇が位を三条天皇に譲るとき、皇太子に第1皇子敦康(あつやす)親王を擬そうとしたが、道長をはばかり、その外孫敦成親王を皇太子にたてた。この敦成親王が1016年(長和5)9歳で即位。道長が短期間摂政(せっしょう)となったのち、その男頼通(よりみち)が摂関となり執政した。この朝において太皇太后(一条天皇中宮彰子)、皇太后(三条天皇中宮妍子(けんし))、皇后(後一条天皇中宮威子(いし))の三后がともに道長の女で、その栄華を極めた。道長が「この世をば我世とぞ思ふ望月のかけたる事もなしと思へば」と詠んだのは、威子立后の日であった。
[森田 悌]
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後一条天皇
ごいちじょうてんのう
[生]寛弘5(1008).9.11. 京都
[没]長元9(1036).4.17. 京都
第 68代の天皇 (在位 1016~36) 。名は敦成 (あつひら) 。一条天皇の第2皇子。母は藤原道長の娘彰子。道長の意により三条天皇の皇太子となり,長和5 (16) 年践祚し,次いで即位した。摂政は外祖父にあたる道長。寛仁2 (18) 年道長の娘威子が入内し,同年,皇后となり,道長の3人の娘が同時に后位について世にまれなこととされた。「この世をばわが世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」と歌った道長の全盛時代であった。陵墓は京都市左京区吉田神楽岡町の菩提樹院陵。
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後一条天皇 ごいちじょうてんのう
1008-1036 平安時代中期,第68代天皇。在位1016-36。
寛弘(かんこう)5年9月11日生まれ。一条天皇の第2皇子。母は藤原彰子(上東門院)。三条天皇の譲位により9歳で即位。外祖父藤原道長が摂政となる。在位中,刀伊(とい)(女真)が対馬(つしま),壱岐(いき),筑前(ちくぜん)に襲来(1019)したり,下総(しもうさ)で平忠常が乱をおこす(1028)事件があった。長元9年4月17日死去。29歳。墓所は菩提樹院陵(ぼだいじゅいんのみささぎ)(京都市左京区)。諱(いみな)は敦成(あつひら)。
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後一条天皇
ごいちじょうてんのう
1008.9.11~36.4.17
在位1016.1.29~36.4.17
一条天皇の第2皇子。名は敦成(あつひら)。母は藤原道長の女上東門院彰子。1011年(寛弘8)三条天皇の皇太子に立ち,16年(長和5)践祚する。このとき立太子した敦明(あつあきら)親王(三条天皇の皇子)は翌17年(寛仁元)に皇太子を辞退し,かわって後一条天皇の同母弟の敦良(あつなが)親王(後朱雀天皇)が立太子した。同年,摂政は道長から頼通に継承された。男子はなく,中宮藤原威子(道長の女)所生の女子2人(章子・馨子(けいし))がある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
後一条天皇
ごいちじょうてんのう
1008〜36
平安中期の天皇(在位1016〜36)
一条天皇第2皇子。母は藤原道長の娘彰子 (しようし) 。在位中は道長・頼通が摂政・関白で,藤原氏の全盛期であった。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
後一条天皇 (ごいちじょうてんのう)
生年月日:1008年9月11日
平安時代中期の第68代の天皇
1036年没
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