日本歴史地名大系 「正家廃寺」の解説 正家廃寺しようげはいじ 岐阜県:恵那市正家村正家廃寺[現在地名]恵那市長島町正家 寺平阿木(あぎ)川のつくる扇状地と接する小高い舌状台地上に位置する。寺院跡の南約四〇〇メートルには中世の墳墓と考えられる正家積石塚群があり、洞(ほら)川を隔てた丘陵には一一世紀代の正家・永田(ながた)両古窯跡群がある。正家中央部の八反田(はつたんだ)遺跡からは、多くの山茶碗が出土し、青磁や須恵器も出ている。昭和五一年(一九七六)から発掘調査が行われ、磁北にほぼ近い中軸線で、西に塔、東に金堂、やや中軸線のずれる講堂を北に配し、東西七〇メートル・南北六〇メートルの土塁が囲む伽藍配置が明らかになった。塔跡は一辺約一〇メートル、高さ一・八メートルの基壇に心礎と一二個の礎石が残っている。心礎は一・五×一・六メートルで、径七四センチの柱座がうがたれる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by