正岡陽炎女(読み)マサオカ カゲロウジョ

20世紀日本人名事典 「正岡陽炎女」の解説

正岡 陽炎女
マサオカ カゲロウジョ

大正・昭和期の俳人



生年
明治19(1886)年11月13日

没年
昭和42(1967)年1月15日

出生地
高知県

本名
正岡 辰雌(マサオカ トキメ)

学歴〔年〕
札幌北星女学校〔明治33年〕卒,神戸頌栄保姆伝習所〔明治41年〕修了

主な受賞名〔年〕
水明賞〔昭和30年〕

経歴
高知県の出身だが、幼児に生家洪水の被害に遭い、明治30年に一家で北海道に渡った。札幌北星女学校や神戸頌栄保姆伝習所に学んだのち、保母として青森県弘前の若葉幼稚園に勤務。のち、結婚して一時期を東京で暮らすが、病を得て北海道に帰り、正岡家に復籍した。大正11年頃から俳誌枯野」を主宰する長谷川零余子に師事して俳句をはじめ、同誌の同人として活躍。昭和3年に零余子が没後すると、その夫人で女流俳人の長谷川かな女の門下に移り、6年以降はかな女が発刊した「水明」に拠った。26年北海道美唄に零余子・かな女の句碑建立。また、同年「水明」系の俳誌として「暁水」を創刊した。30年水明賞を受賞。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「正岡陽炎女」の解説

正岡陽炎女 まさおか-かげろうじょ

1886-1967 大正-昭和時代の俳人。
明治19年11月13日生まれ。北海道にわたり,美唄(びばい)でくらす。長谷川零余子(れいよし)に師事し,「枯野」同人。零余子没後はその夫人の長谷川かな女主宰「水明」の同人となる。昭和26年両師の夫婦句碑をたて,「暁水」を創刊,主宰。昭和42年1月15日死去。80歳。高知県出身。札幌北星女学校卒。本名は辰雌(ときめ)。
格言など】農婦野に座せば陽炎髪なぶる(美唄市空知神社境内の陽炎女句碑)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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