コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

長谷川零余子 はせがわ れいよし

3件 の用語解説(長谷川零余子の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

長谷川零余子

俳人。群馬県生。旧姓は富田、本名は諧三、初号は翆村、別号に啄木亭。東京帝大薬学科卒。書店勤務中、僚友井上唖々の感化で俳句に志し、内藤鳴雪に指導を受け、高浜虚子のすすめで『ホトトギス』編集者となる。のち俳誌『枯野』を創刊・主宰し立体俳句説を提唱した。著書に句集『近代俳句史論』『雑草』等がある。昭和3年(1928)歿、43才。

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

長谷川零余子 はせがわ-れいよし

1886-1928 大正-昭和時代前期の俳人。
明治19年8月20日生まれ。長谷川かな女の夫。内藤鳴雪,高浜虚子に師事。「ホトトギス」の選者をへて,大正10年「枯野」を創刊,主宰。立体俳句を提唱した。昭和3年7月27日死去。43歳。群馬県出身。東京帝大薬学科卒。旧姓は富田。本名は諧三(かいぞう)。著作に「近代俳句史論」,句集に「雑草」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

長谷川零余子

没年:昭和3.7.27(1928)
生年:明治19.5.23(1886)
大正時代の俳人。本名諧三,旧姓富田。群馬県多野郡鬼石町生まれ。東京帝大薬学科選科卒業。少年時より俳句に興味を持ち,上京後,明治38(1905)年に井上唖々らと七草会を結成した。長谷川かな女と結婚,長谷川姓を名乗り,号も零余子として『東京日々新聞』『ホトトギス』などに投句。大正2(1913)年から『ホトトギス』地方俳句欄選者となり,10年には『枯野』を創刊主宰した。「俳句は自然観照の文学」という立場だったが,単なる写生をいうのでないことは,のちに立体俳句を提唱したことからも明らかであろう。著書に,『近代俳句史論』(1922),『雑草』(1924)などがある。

(平石典子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

長谷川零余子の関連キーワード筏井竹の門森猿男俳諧三神佐々木北涯数藤五城服部耕雨牧野望東松村鬼史松本蔦斎柳下孤村

今日のキーワード

ワールド・ベースボール・クラシック

メジャーリーグ機構、メジャーリーグ選手会が音頭をとってスタートした野球の世界一決定戦。2006年の第1回は16カ国が参加。4組に分かれて1次リーグを行い、各上位2カ国が米国に移って2リーグの2次予選、...

続きを読む

コトバンク for iPhone