武田惣角(読み)タケダ ソウカク

20世紀日本人名事典 「武田惣角」の解説

武田 惣角
タケダ ソウカク

明治〜昭和期の武道家 大東流合気柔術の祖。



生年
万延1年10月10日(1860年)

没年
昭和18(1943)年4月25日

出生地
陸奥会津坂下(福島県会津坂下町)

本名
武田 正義

経歴
会津藩士の家に生まれる。はじめ一刀流の剣客渋谷東馬に師事するが、明治6年直心影流の榊原鍵吉門下に転じた。8年より会津藩のもと家老西郷頼母から大東流合気柔術を学び、31年に免許を授かって以降、西郷の指示で同流合気柔術の普及に尽力。一カ所に道場を構えるのを好まなかったため、旅をしながら武者修行に打ち込み、無敗を誇った。その足跡は北海道から沖縄まで全国にあまねく、行く先々で講習会を開催。門弟の数は陸海軍人や警察官などを含めて3万人と言われ、その中から合気道の始祖植芝盛平や佐川幸義をはじめとする多くの武道家を輩出した。小柄ながら卓越した技術を持ち、現在もその流派は古流武術中で最も盛んだといわれている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「武田惣角」の解説

武田惣角

没年:昭和18.4.25(1943)
生年:万延1.10.10(1860.11.22)
明治から昭和期の武術家。会津藩士武田惣吉の次男。母は黒河内伝五郎の娘富。陸奥国会津坂下(福島県)生まれ。名は正義。藩の家老西郷頼母に大東流合気柔術を学んだことから同流中興の祖といわれるが,惣角を実質的な創始者とする説が有力である。はじめ一刀流の渋谷東馬に就き,明治6(1873)年榊原鍵吉 の道場に入門したという。一カ所に道場を構えることを好まず,以後は沖縄から北海道まで全国を旅し,その先々で講習会を開いて門人をとった。その数は3万人ともいわれ,陸海軍の将校や幹部警察官も多かった。門下から合気道の開祖植芝盛平をはじめ佐川幸義,堀川幸道,久琢磨らが出ている。小柄であったが,その術技は超人的であったという。 子の時宗が伝を継ぎ,同流は現在も古流武術のうちで最も盛んである。<参考文献>合気ニュース編『武田惣角と大東流合気柔術』

(甲野善紀)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武田惣角」の解説

武田惣角 たけだ-そうかく

1860-1943 明治-昭和時代前期の武道家。
万延元年10月10日生まれ。明治6年榊原鍵吉の弟子となり,8年もと会津(あいづ)藩家老西郷頼母(保科近悳(ちかのり))に合気柔術をまなぶ。31年免許をうけ,保科の指示によって大東流をおこした。門下に合気道の開祖植芝盛平ら。昭和18年4月25日死去。84歳。陸奥(むつ)会津(福島県)出身。名は正義。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の武田惣角の言及

【合気道】より

…その意味は,相手の心の動きを察知する心法と,相手の攻撃を無効にする技法との2面から理解される。この語は同流関係の史料では,1922年に植芝が武田惣角(1860‐1943∥万延1‐昭和18)から与えられた〈合気柔術秘伝奥儀之事〉に初見される。現在,合気は流派によって異なったニュアンスで用いられている。…

【植芝盛平】より

…また講道館柔道も学ぶ。1915年に,大東流中興の祖といわれ剣・槍・柔術などに長じていた武田惣角に師事する。20年から綾部の大本教本部に居住し,出口王仁三郎から精神的影響を受けた。…

※「武田惣角」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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