合気道(読み)アイキドウ

デジタル大辞泉 「合気道」の意味・読み・例文・類語

あいき‐どう〔あひキダウ〕【合気道】

古流柔術の一派、大東流柔術の流れをくむ武術関節弱点を利用した押さえ技や投げ技特色とする。

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精選版 日本国語大辞典 「合気道」の意味・読み・例文・類語

あいき‐どうあひキダウ【合気道】

  1. 〘 名詞 〙 古流柔術の一流派大東流柔術の流れをくむ武術で、当て身技(わざ)および関節技を主としたもの。合気術。

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改訂新版 世界大百科事典 「合気道」の意味・わかりやすい解説

合気道 (あいきどう)

広義には,古流柔術の一派大東流合気柔術源流とする〈合気〉の名を冠する日本武術をいう。狭義には,同流修行者の一人植芝盛平によってまとめられた形(かた)(約束練習)による練習法と,その解釈を指すことが多い。しかし1960年ころ,植芝の高弟富木謙治(1900-79)によって乱取法(自由練習)が創案されたため,形と乱取りによる練習法を総合して指す場合もある。

この語は近世の武術伝書《一刀流兵法韜袍起源考》《槍剣事理問答》などに見ることができ,相互に気勢や拍子があう状態の意味で使用されている。明治・大正期にも《合気之術》(1892)など合気に関する書が見られる。大東流関係者の間では,明治期から秘技として合気の語が使用されていた。その意味は,相手の心の動きを察知する心法と,相手の攻撃を無効にする技法との2面から理解される。この語は同流関係の史料では,1922年に植芝が武田惣角(1860-1943・万延1-昭和18)から与えられた〈合気柔術秘伝奥儀之事〉に初見される。現在,合気は流派によって異なったニュアンスで用いられている。

口伝および伝書によれば,大東流は源家の新羅三郎義光始祖とし,甲斐の武田家に伝わった小具足であった。1574年(天正2)に一族の武田国継によって会津の武田家に伝えられると,これに同地の武術をとり入れて殿中護身武芸(御式内(おしきうち))が定められ,歴代藩主が継承して家老,重臣,小姓など奥勤めの者に習得させたといわれる。武田惣角は若くして角力,棒術,小野派一刀流,宝蔵院流槍術,手裏剣術を学び極める一方,元会津藩家老保科近悳(西郷頼母)から御式内を伝授され,1898年以降これを大東流柔術と称して,その普及のため全国を巡回指導した。武田に学んだ植芝は1922年に教授代理を許され,31年に〈八十四ヶ条御信用之手〉を伝授されて以後,武田から離れた。みずからは合気武術,合気武道の名で指導し,42年以降合気道と改称して普及させた。富木は1926年から植芝に学び,40年に八段を允可(いんか)された。以後柔道に倣って合気道の競技化を研究し,60年ころ合気乱取法を創案しこれに成功した。現在,合気道界には理論や練習方法上の拠点となる人物を,それぞれ武田,植芝,富木におく三つの潮流があるが,その中には多くの独立組織も並立しており,百花繚乱りようらん)の時代といえる。武田の流れは嗣子時宗(大東流合気武道),久琢磨(琢磨会),佐川幸義(大東流合気武術)らによって現代に伝承されている。植芝の組織(合気会)は嗣子吉祥丸らによって戦後急速に発展した。植芝からは塩田剛三(養神館),藤平光一(気の研究会)らの逸材が輩出。富木の流れは大庭英雄らの日本合気道協会に継承,統括されている。

古流柔術の典型で,徒手対徒手(打つ,突く,蹴る,組む),徒手対武器(刀,槍,棒など),武器対武器,座り技,1人対多数の技などあらゆる格闘形態を含んでいる。内容的には,関節技(手首ひじ,肩など)や当身技が中心で殺傷力をもつが,本来は相手を制御し捕縛することが目的である。すべての動きには剣の理合(目付,間合い,刀法)が吸収されており,相手に触れた瞬間に施技し,反撃のすきを与えない。

従来の合気道が形の練習に終始し,柔・剣道のように実力が客観化できず,学校体育教材として不十分な点に着目し,富木が乱取法を創案した。乱取りの基本の形としては17本(当身技5,肘関節(ちゆうかんせつ)技5,手首関節技4,浮技3)が制定されている。乱取法には,徒手対徒手で有効技を競うものと,徒手対短刀(ゴム製)によるものとがある。後者には,武器による攻撃に対してすぐれている合気道の技の特性が生かされている。競技法には乱取りのほか,形の演武を採点して競う方法もあり,最近はこれが増加傾向にある。
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百科事典マイペディア 「合気道」の意味・わかりやすい解説

合気道【あいきどう】

こんにちの合気道は,植芝盛平〔1883-1969〕が合気武術,合気武道の名で指導してきたものを,1942年,みずから合気道と改称したのが始まり。もともとは古流柔術の一流派である大東流合気柔術を源流とし,〈合気〉の名を用いる日本武術のこと。伝えられるところによれば,大東流は源氏の新羅三郎義光を始祖とし,甲斐の武田家で伝承された。1574年に会津の武田家に伝えられて,殿中護身武芸となり,歴代藩主によって継承された。大東流の中興の祖といわれる武田惣角は角力,棒術,小野派一刀流,宝蔵院流槍術,手裏剣術を学び,さらに会津の殿中護身武芸を取り入れ,1898年以降,大東流柔術として普及に努めた。この武田から植芝は指導を受け,1922年に教授代理となり,1931年には〈八十四ケ条御信用之手〉を伝授されて独立。1942年に合気道を起こす。1926年から植芝の指導を受けた富木謙治は,植芝の工夫した〈形〉と〈約束練習〉をもとに合気道の競技化の道をさぐり,〈合気乱取法〉(自由練習)を創案。こんにちの合気道界は,武田,植芝,富木を基点とする三つの潮流があり,さらに,細かく分派した独立組織が乱立しており,百花繚乱と呼ぶにふさわしい。合気道は古流柔術にその源を発しているように,相手を制御し,捕縛することが目的である。したがって,関節技(手首,肘(ひじ),肩など)と当て身技が中心となっている。乱取りの基本の形は,関節技が9,当て身技が5,浮き技が3の合計17本。競技の方法は,徒手対徒手(有効技を競う),徒手対短刀,形の演武(採点)の3種。最近は演武に人気が集まりつつある。→柔道
→関連項目護身術日本武道館

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「合気道」の意味・わかりやすい解説

合気道
あいきどう

日本武道で格闘技の一種。

歴史

もとは古流柔術の一つ大東流柔術の流れをくむ。伝書によれば、源義光(よしみつ)を始祖とし、甲斐(かい)(山梨県)の武田家から会津(福島県)の武田家へ伝わったもので、明治・大正のころ会津の武田惣角により継承され、昭和に入って、その高弟である植芝盛平が柳生(やぎゅう)流や起倒流柔術などの長所も加えて従来の技を統合し、合気武道として大東流から独立、1944年(昭和19)には合気道と改称した。組織としては1940年財団法人皇武会を設立、1948年に財団法人日本合気会として改組、各地に支部や大学クラブが設けられた。1955年ころから海外にも指導者が派遣され、国際合気道連盟設立(1950)とともに近年では世界各国に道場が増えている。

[石井恒男]

徒手をたてまえとしながら、刀、槍(やり)、棒による攻撃にも備える多様性のある護身武術である。技の特色は、殺傷を目的とせず、相手の手首、腕の関節の弱点を利用し、倒す、投げる、押さえることにある。その技は多角的で非常に多い。練習法には、約束による形の反復があり、これは力の統一性を養うとともに人間的精神の高揚を求める。関節技の練習は身体の柔軟性を養い、老人や女子も無理なく続けられるので、健康法としても適している。

[石井恒男]

『植芝吉祥丸著『合気道』(1983・講談社)』『植芝吉祥丸・植芝盛平著『合氣道技法』(2007・出版芸術社)』『清水豊著『神仙道と植芝盛平』(2008・ビイング・ネット・プレス)』『加来耕三『戦後合気道群雄伝』(2008・出版芸術社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「合気道」の意味・わかりやすい解説

合気道
あいきどう

相手の打・突・蹴や武器による攻撃を無手で制する武道の一種。大東流合気柔術をその源流とし,昭和初期東京に道場を開いた植芝盛平が合気柔術を合気武道と名づけ,のち合気道と改称した。 1948年合気会の結成とともに国内各地に道場や各大学にクラブが設置され盛んとなり,欧米各国にも広まった。技には,すわり技,立技,対武器の技などがあるが非常に危険なため,古来実戦の場以外は「形」による反復練習が行なわれていたが,1970年合気乱取法に基づく競技化が実現した。競技は徒手対短刀 (ゴム製) で行なわれる。

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日本文化いろは事典 「合気道」の解説

合気道

武道は力や技で相手を倒すことを目標にするものが多いのに対して、合気道は「気」をもって相手の力を「制する」、いわば「受け」の武術であるという独特な スタンスをとっています。目的も強くなることではなく、心の修練です。古流武術から出発した「気」の武術は、強さを競うより大切なことがあるという理論を 持つ「人にやさしい」武術なのです。

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