20世紀日本人名事典 「武蔵川喜偉」の解説 武蔵川 喜偉ムサシガワ ヨシヒデ 昭和期の力士 相撲博物館館長;元・日本相撲協会理事長;元・出羽海部屋親方。 生年明治42(1909)年3月1日 没年昭和62(1987)年5月30日 出生地東京都江東区大島 出身地石川県小松市 本名市川 国一(イチカワ クニイチ) 別名シコ名=出羽ノ花 国市(デワノハナ クニイチ) 経歴出羽ノ海部屋に入り、大正14年に初土俵、前頭筆頭で昭和15年引退。年寄・武蔵川を襲名し、21年日本相撲協会の理事、43年理事長に就任。この間、簿記学校に通って協会の財政を一手に引き受ける傍ら、土俵の4本柱の廃止、月給制、親方定年制、部屋別総当たり制の実施などの改革を断行した。48年には中国公演を実施、周恩来とも会見。定年後、51年からは相撲博物館館長を務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武蔵川喜偉」の解説 武蔵川喜偉 むさしがわ-よしひで 1909-1987 昭和時代の力士,親方。明治42年3月1日生まれ。出羽海部屋に入門,しこ名は出羽ノ花。大正14年初土俵,最高位は前頭筆頭。昭和15年引退後は年寄武蔵川となり,日本相撲協会理事として財政を担当。43年理事長。蔵前国技館の建設,諸制度改革をおこなった。昭和62年5月30日死去。78歳。石川県出身。本名は市川国一。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by