日本大百科全書(ニッポニカ) 「武蔵武芝」の意味・わかりやすい解説
武蔵武芝
むさしのたけしば
平安前期の武蔵地方の有力豪族。武蔵氏は767年(神護景雲1)に丈部直不破麻呂(はせつかべのあたいふわまろ)らが武蔵宿禰(すくね)姓を賜姓したことに始まる。『将門記(しょうもんき)』によると、938年(承平8)2月、武蔵国足立(あだち)郡司判官代である武蔵武芝は、武蔵権守(ごんのかみ)興世王(おきよおう)、武蔵介(すけ)源経基(つねもと)と対立した。平将門(まさかど)がこの対立に介入したことから、将門は源経基により朝廷に謀反の罪で訴えられる契機となった。武蔵氏は、平安後期より武蔵一宮(いちのみや)氷川(ひかわ)社(埼玉県さいたま市大宮区)の宮司職を世襲したと伝えられる。
[佐々木虔一]