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武野宗瓦 たけの そうが

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

武野宗瓦 たけの-そうが

1550-1614 織豊-江戸時代前期の茶人。
天文(てんぶん)19年2月生まれ。武野紹鴎(じょうおう)の長男。父の遺産をめぐって後見の義兄今井宗久とあらそい,敗訴。石山本願寺内通の疑いで織田信長に堺を追われる。豊臣秀吉にも冷遇されるが,徳川家康のとりなしで御伽(おとぎ)衆にくわえられ,晩年は豊臣秀頼につかえた。慶長19年8月26日死去。65歳。和泉(いずみ)(大阪府)出身。名は信材。字(あざな)は為久。通称は新五郎。号は水宿庵,方寸斎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

武野宗瓦

没年:慶長19.8.26(1614.9.29)
生年:天文19.2(1550)
安土桃山・江戸初期の茶湯者。紹鴎の嫡子。名は信材,また為久。通称新五郎。方寸斎,水宿庵と号した。父に6歳で死別したが,千利休,津田宗及らの手厚い庇護のもとに堺の茶の湯界で成長した。しかし,後見人である義兄の今井宗久との財産の返還訴訟で敗訴,本願寺信仰も加えて信長・秀吉の迫害を受けたが,駿府の徳川家康を頼って秀吉との間はとりなされた。慶長16(1611)年家康の命で豊臣秀頼に茶の湯で仕え,大坂で没している。嫡子の仲定(紹添)は織田有楽の推挙で徳川義直に仕官し,次子の宗朝(安斎)も堀杏庵門下の儒者となり,義直の家臣となった。<参考文献>『堺市史』,戸田勝久『武野紹鴎研究』

(戸田勝久)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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