朝日日本歴史人物事典 「武野宗瓦」の解説
武野宗瓦
生年:天文19.2(1550)
安土桃山・江戸初期の茶湯者。紹鴎の嫡子。名は信材,また為久。通称新五郎。方寸斎,水宿庵と号した。父に6歳で死別したが,千利休,津田宗及らの手厚い庇護のもとに堺の茶の湯界で成長した。しかし,後見人である義兄の今井宗久との財産の返還訴訟で敗訴,本願寺信仰も加えて信長・秀吉の迫害を受けたが,駿府の徳川家康を頼って秀吉との間はとりなされた。慶長16(1611)年家康の命で豊臣秀頼に茶の湯で仕え,大坂で没している。嫡子の仲定(紹添)は織田有楽の推挙で徳川義直に仕官し,次子の宗朝(安斎)も堀杏庵門下の儒者となり,義直の家臣となった。<参考文献>『堺市史』,戸田勝久『武野紹鴎研究』
(戸田勝久)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報