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サンガロ
Antonio da Sangallo il Giovane
生没年:1484-1546
イタリアの建築家,築城技師。彫刻家,建築家の家系サンガロ一族の中心的人物として分業化の進んだ組織的工房を経営し,1520-40年代のローマの建築界を支配した。建築家G.daサンガロ,アントニオ・ダ・サンガロ・イル・ベッキョはいずれも母方の伯父。1503年,故郷フィレンツェからローマへ出てブラマンテの工房に入り,サン・ピエトロ大聖堂再建工事に仮枠づくりの大工として参加。ブラマンテ,ラファエロのもとで同大聖堂工事の現場監督を務め,ラファエロ没後その主任建築家となり,工事を進めるかたわら集中式とバシリカ式を折衷した改修案を提案したが実現をみなかった。パルマの名家ファルネーゼ家の建築家としても活躍し,特に住宅(パラッツォ)建築において施工のしやすさと見ばえを両立させ,設計から施工に至る各作業を合理化して量産をめざしたその工房組織はルネサンスの建築生産に新しい革命をもたらした。ローマの南東約100kmに新都市カストロCastroを建設し(1649滅亡),中部イタリア各地に城砦を建て,オルビエトにらせん斜路付きの大井戸を掘削するなど,活動は広範かつ多彩であった。代表作は,パラッツォ・ファルネーゼ,教皇庁造幣局,サンタ・マリア・ディ・ロレート教会(いずれもローマ),およびフィレンツェの城砦フォルテッツァ・ダ・バッソ。
執筆者:日高 健一郎
サンガロ
Giuliano da Sangallo
生没年:1443ころ-1516
ルネサンス前・中期に3世代約1世紀にわたって彫刻家,建築家を輩出したフィレンツェのジャンベルティGiamberti家およびその縁戚コルディアーニCordiani家は,市門ポルタ・サンガロ付近に住んだため,〈ダ・サンガロ〉の別姓で知られた。ジュリアーノはメディチ家支配下のフィレンツェを中心に活躍した建築家。父フランチェスコ・ジャンベルティから木彫を学び,1465年ころローマに出て建築家となる。古代の遺構を研究し,二つの素描集を残したが,その古典様式のとらえ方は原理,構築法よりは意匠,視覚性を重視していた。洗練された絵画的作風のゆえに,力強く大胆な造形を求めたローマ教皇庁からは優遇されず,ブラマンテとラファエロに活躍の場を譲った。代表作はビラ・メディチ,サンタ・マリア・デレ・カルチェリ教会。ナポリ王フェルディナンド1世の王宮案,メディチ家の大ロレンツォの宮殿案はいずれも実現をみなかったが,従来のルネサンス建築にみられない大規模な宮殿建築の先駆として注目される。フィレンツェのサン・ロレンツォ教会のファサード計画案は,ミケランジェロの初期の建築造形に少なからぬ影響を与えた。
執筆者:日高 健一郎
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サンガロ
Sangallo, Francesco da
[生]1494. フィレンツェ
[没]1576. フィレンツェ
イタリアの彫刻家。建築家ジュリアーノ・ダ・サンガロの息子。通称イル・マルゴッタ。1504年ローマに出て,のちミケランジェロおよびアンドレア・サンソビーノに会い,深い影響を受ける。1529年までサンソビーノのもとで修業。1533年トリボロおよびラファエロ・ダ・モンテルーポとともにロレトのサンタカーサ聖堂(聖なる家聖堂)の装飾に参加。1540~46年ローマのサン・ピエトロ大聖堂の造営に装飾彫刻家として活動。フィレンツェの聖アヌンツィアータ聖堂のマルツィ=メディチ司教の墓(1546),モンテカッシーノのピエロ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチの墓(1547),フィレンツェのレオナルド・ボナフェーデの墓(1550),フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂にパオロ・ジョビオの墓(1550)を完成。
サンガロ
Sangallo, Antonio Picconi da
[生]1483. フィレンツェ
[没]1546. テルニ
イタリアの建築家。アントニオ・ダ・サンガロ・イル・ジョーバネとも呼ぶ。サンガロ一家の一人で,ジュリアーノ・ダ・サンガロおよびアントニオ・ダ・サンガロの甥。ドナト・ブラマンテの弟子となり,主としてローマで活動。ラファエロ・サンツィオの後継者としてサン・ピエトロ大聖堂の造営監督を務めた(ただし工事は実際にはほとんど進展しなかった)。代表作はローマのパラッツォ・ファルネーゼ。
サンガロ
Sangallo, Antonio da
[生]1455頃.フィレンツェ
[没]1534. フィレンツェ
イタリアの建築家。アントニオ・ダ・サンガロ・イル・ベッキオとも呼ぶ。サンガロ一家の一人で,ジュリアーノ (1445~1516) の弟,アントニオ (ピッコーニ) の伯父。代表作はモンテプルチアーノにあるサン・ビアジオ聖堂 (18~29) で,D.ブラマンテのサン・ピエトロ大聖堂計画案の影響がみられる。このほか彼は同地のチェルビーニ家,コントゥッチ家,タルージ家などのパラッツォを設計。またチェーザレ・ボルジアのために建設した城塞チビタ・カステラーナ (1495以後) もよく知られている。
サンガロ
Sangallo, Giuliano da
[生]1445頃.フィレンツェ
[没]1516. フィレンツェ
イタリアの建築家。ブルネレスキやアルベルティの建築構想をさらに発展させることによってルネサンス建築の展開に新生面を開いた。彼の代表作サンタ・マリア・デレ・カルチェリ聖堂 (1485~91,プラト) は,イタリア・ルネサンス建築におけるギリシア十字形集中式平面の最初の作例の一つ。またロレンツォ・イル・マニフィコのために建てたビラ・レアーレ (83~85頃,ポッジオ・ア・カイアーノ) は,ルネサンスのその後のビラ建築の範となった。
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サンガロ[一族]【サンガロ】
イタリア・ルネサンス期のフィレンツェの建築家一家。ジュリアーノGiuliano da Sangallo〔1443ころ-1516〕はブルネレスキの建築思想を受けてルネサンスの初期様式を克服,ギリシア式十字プランや集中式プランを研究してサンタ・マリア・デレ・カルチェリ聖堂などを残した。アントニオAntonio da Sangallo〔1455-1534〕はジュリアーノの弟で,十字プランのマドンナ・ディ・ビアジョ聖堂や多くの城塞建築を造った。前2者の甥アントニオ・コリオラニAntonio Coriolani de Sangallo〔1484-1546〕はブラマンテの弟子で,おもにローマで活躍し,サン・ピエトロ大聖堂の造営をラファエロから引き継いだ。ローマのパラッツォ・ファルネーゼの第2層までを完成。城塞建築も手がけた。盛期ルネサンスから初期バロックへの移行を成し遂げ,サンガロ家の中で最も重要な作家である。
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