武霊王(読み)ぶれいおう(その他表記)Wǔ líng wáng

改訂新版 世界大百科事典 「武霊王」の意味・わかりやすい解説

武霊王 (ぶれいおう)
Wǔ líng wáng

中国,戦国趙の王。在位,前325-前299年。生没年不明。戦国の七雄の中でも北方に位置する趙は,つねに胡(北方民族)と戦っていたが,武霊王は彼らから戦術を学ぶとともに胡服騎射(北方民族の衣服をまとい騎馬で戦う)の制を採用し軍制を改革した。その結果,中山から燕,代,さらには雲中,九原(ともにオルドス北方)に至る北辺の地を攻略し,国勢は大いにふるった。晩年王位を子に譲り,みずから主父(しゆほ)と号したが,宮廷内の紛争にまきこまれ,臣下に宮室を包囲されて餓死したという。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「武霊王」の意味・わかりやすい解説

武霊王[趙]
ぶれいおう[ちょう]
Wu-ling-wang

中国,戦国時代の王 (在位前 325~299) 。中山国を滅ぼし,北方民族と抗争,大いに国威を宣揚した。北族の風習を採用した (胡服騎射) 物語は名高い。晩年,位を子の恵文王に譲り,みずから主父と号し,北地を征し,をうかがわんとしたが,公子章 (王の長子) の乱に巻込まれ,李兌らに攻囲されて沙丘宮 (河北省平郷) に餓死した。

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世界大百科事典(旧版)内の武霊王の言及

【春秋戦国時代】より

… 山西にあった趙は,初め晋陽(山西省太原)を都としていたが,前386年に邯鄲にうつり,中央への進出を図ったが,魏などに抑えられ,北方に転じた。武霊王(在位,前325‐前299)は北方遊牧民の騎馬戦術を採用して兵制を改革し,河北にあった中山(河北省平山)を併合し,陝西北部から内モンゴル南部まで領土を拡大した。しかし燕,趙ともに中央の情勢に大きな影響を与えるに至らなかった。…

※「武霊王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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