殿原寺跡
でんげんじあと
[現在地名]浜玉町大字平原字座主
座主の花峰にある。石垣・礎石が残る。欽明天皇の時代、大伴狭手彦が新羅より帰朝の途次佐用姫の死を知り、ともに来朝した沙門曇恵・真探に、姫の菩提のためこの寺を建てさせたという。このとき曇恵は聖観音像を安置し、根木観音とよばれている。「松浦記集成」の寛永五年(一六二八)の記録に
<資料は省略されています>
と記す。のち、この寺は鏡神社の座主松浦大僧都の政所坊の伽藍となり、松浦庄が東寺領になると、真言密教の修験道場として栄えた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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