殿原寺跡(読み)でんげんじあと

日本歴史地名大系 「殿原寺跡」の解説

殿原寺跡
でんげんじあと

[現在地名]浜玉町大字平原字座主

座主の花峰ざすのはなのみねにある。石垣礎石が残る。欽明天皇の時代、大伴狭手彦新羅より帰朝の途次佐用姫の死を知り、ともに来朝した沙門曇恵・真探に、姫の菩提のためこの寺を建てさせたという。このとき曇恵は聖観音像を安置し、根木ねぎ観音とよばれている。「松浦記集成」の寛永五年(一六二八)の記録に

<資料は省略されています>

と記す。のち、この寺はかがみ神社の座主松浦大僧都の政所坊の伽藍となり、松浦庄が東寺領になると、真言密教の修験道場として栄えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む