日本歴史地名大系 「母坪城跡」の解説 母坪城跡ほつぼじようあと 兵庫県:氷上郡柏原町母坪村母坪城跡[現在地名]柏原町母坪、氷上町稲継高見城(たかみじよう)山から北へ長く延びる尾根の突端、標高一五六・五メートル、比高六〇メートルに位置する。高い山ではないが東・北・西を柏原川が巡り、西側は加古川との合流点をひかえる天然の要害。氷上盆地のほぼ中央部で山陰道に近い交通の要衝でもあった。穂壺(ほつぼ)城・稲継(いなつぎ)城・猪(い)ノ山(やま)城ともよばれている。稲継壱岐守が城主であったといわれている(丹波志)。要地であるため戦国期の抗争の場にもなった。天正三年(一五七五)島津家久は伊勢参りからの帰途、丹波路を通り、「ひかミの郡の内猪乃山とて城有」と記しており(「家久君上京日記」六月一四日条)、当時も城として機能していた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by