比叡尾山城跡(読み)ひえびやまじようあと

日本歴史地名大系 「比叡尾山城跡」の解説

比叡尾山城跡
ひえびやまじようあと

[現在地名]三次市畠敷町

比叡尾山(四二〇メートル)頂上にあり、比高約二二〇メートル。断層運動による急斜面で畠敷はたじき台地に接し、眼下に三次盆地を一望する。中世、この地方を支配した三吉氏の本拠

三吉氏は鼓氏系図によると、近江宇多源氏佐々木氏の流れをくみ、佐々木秀綱が建久三年(一一九二)八月三次地方の地頭職を得て比叡尾山城を築き居住したのが初めという。しかし、同系図には秀綱の子秀方は承久の乱に京方について戦死し、秀方の子高元は母とともに三吉を立退き伊予(現愛媛県越智郡)へ赴くとある。他方、「芸藩通志」や三次町の「国郡志下調書出帳」に付す三吉氏系図では、藤原行成の四男藤原兼範が安房国より下向したとし、彼を三吉氏の祖としている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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