朝日日本歴史人物事典 「気比氏治」の解説
気比氏治
生年:生年不詳
南北朝時代の越前(福井県)敦賀気比神宮神官。通称弥三郎大夫。建武3/延元1(1336)年10月,足利尊氏に京都を追われた新田義貞が後醍醐天皇の皇太子恒良親王と皇子尊良親王を奉じて敦賀に下ると,子の大宮司斉晴と共に気比社神官を率いてこれを 金崎城に迎え,翌年3月6日,城が落ちると尊良親王らに続き切腹したといわれる。しかし,当時の文書によると氏治は神官のひとりにすぎず,大宮司も斉晴ではなかったものと思われ,氏治が気比社神官を率いたとする『太平記』の記述には疑問が残る。また,「気比」の姓もほかの史料にはみえない。<参考文献>『敦賀市史/通史編』上巻
(河村昭一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報