日本歴史地名大系 「水垂村」の解説 水垂村みつたりむら 静岡県:掛川市水垂村[現在地名]掛川市水垂(みずたり)・淡陽(たんよう)・光陽(こうよう)・葛(かつら)ヶ丘(おか)一―三丁目・旭台(あさひだい)・御所原(ごしよばら)・大多郎(おおたろう)・旭(あさひ)ヶ丘(おか)一―二丁目北池(きたいけ)新田の北東にあり、西は上西郷(かみさいごう)村。村内を倉真(くらみ)川の支流水垂川が流れる。明治七年(一八七四)の遠江国各区并村名帳はミツタリと訓を付す。血脈衆(乾坤院蔵)によると、文明一六年(一四八四)四月八日の尾張国乾坤(けんこん)院(現愛知県東浦町)で行われた仏誕生日の授戒会に「水垂二郎右衛門」が列席して道観という戒名を授かっている。 水垂村みずたれむら 京都市:伏見区水垂村[現在地名]伏見区淀(よど)水垂町の大部分北はおよそ樋爪(ひづめ)村、東は桂川を介して納所(のうそ)村、南は大下津(おおしもづ)村、西は下植野(しもうえの)村(現向日市)に接す。村の境域内に淀城下六ヵ町の一つ水垂町を包込む(→淀城下)。「山州名跡志」は当地について、<資料は省略されています>と記す。享保一四年(一七二九)の山城国高八郡村名帳によれば、村高六六二・五七一石、知行の内訳は稲葉丹後守知行(淀藩領)が六三一・四石余と大半を占め、淀姫社領一六・二石余ほか旗本二名の支配地となっている。 水垂村みずたりむら 長崎県:平戸市水垂村[現在地名]平戸市水垂町宝亀(ほうき)村の北に位置し、西に飯盛(いいもり)山があり、東部は川内(かわち)浦に臨む。江戸時代は下方宝亀(しもがたほうき)村のうちで、正保国絵図に「水たり村」とあり、高一〇三石余。明暦二年(一六五六)の田方帳抜書では下方宝亀村内に水垂免とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by