水掛村(読み)みずかけむら

日本歴史地名大系 「水掛村」の解説

水掛村
みずかけむら

[現在地名]成田市水掛

磯部いそべ村の北東に位置し、北は尾羽根おばね川を挟み西大須賀にしおおすか(現下総町)。尾羽根川は江戸時代水掛川と称され、「佐倉風土記」に「埴生郡に在り、大室の東十里を出て、西北に流れ、水掛を過ぎて長沼に入る」とある。応永三三年(一四二六)四月一〇日の大須賀朝信証状(大慈恩寺文書)に水懸村とみえ、同年八月日の大慈恩寺寺領注進状案(同文書)などによると、同村内五反が大慈恩だいじおん(現大栄町)領として安堵されている。


水掛村
みつかけむら

[現在地名]岩舟町静戸しずこ

西は曲之島まがのしま村、北は沖島おきのしま村、東は富吉とみよし(現藤岡町)。寛文三年(一六六三)富田宿寄人馬帳(福島茂文書)に村名がみえ、臨時に富田とみだ宿(現大平町)助郷を勤めている。元禄郷帳では高一一四石余。江戸時代を通して下総古河藩領。天保(一八三〇―四四)頃の古河藩領村明細帳(茨城県潮田文書)によれば高三六二石余、うち新田二四七石余、反別田一四町二反余・畑八三町二反余、取米四七石余・永三四貫余、夫永九〇〇文、大豆五石余、家数八四、男一四一・女一四六、馬一二、修験多聞坊、堂社九、塚二、用水堀一・杭堰九、板橋一三・土橋二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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