20世紀日本人名事典 「水清公子」の解説 水清 公子ミズセイ キミコ 昭和期の洋画家 生年明治28(1895)年3月3日 没年昭和52(1977)年12月25日 出生地兵庫県姫路市 学歴〔年〕兵庫県立高女卒 経歴奈良の新井完に学び、昭和2年画家を志して京都に移り、関西美術院で黒田重太郎に師事。この頃関西美術院関係者によって結成された白堊会の創立に参加し、4年同会会員となる。6年全関西美術展で朝日賞を受賞、7年同展無鑑査となる。10年二科展に初入選、17年同展に「太田の沢」を出品して同会会友となる。戦後は第二紀会創立に参加して同人となり、第2回展に「母子像」「美人草」で同人賞を受賞。京都の女流洋画家の草分けとして活躍した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水清公子」の解説 水清公子 みずせい-きみこ 1901-1977 昭和時代の洋画家。明治34年3月3日生まれ。関西美術院にまなぶ。昭和6年全関西美術展で朝日賞受賞。17年二科会友となるが,戦後は第二紀会創立に参加し,同人。人物や花をモチーフとした。昭和52年12月25日死去。76歳。兵庫県出身。兵庫県立高女卒。作品に「母子像」「美人草」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by