水野忠敬(読み)ミズノ タダタカ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「水野忠敬」の解説

水野 忠敬
ミズノ タダタカ


肩書
菊間藩知事

生年月日
嘉永4年7月(1851年)

経歴
出羽守水野忠誠の養嗣となり、慶応2年家督を相続して沼津五万石の藩主となる。3年江戸城大手門番をつとめ、明治元年戊辰戦争では初め徳川慶喜の命により駿府城を警守したが、征東軍の東上に際して朝命を奉じ、尾張藩指揮に従うことを誓約し勤王証書を提出。この間蒲原・三島間の警備に当てられ、また甲府城代に任じる。江戸開城後、徳川宗家の駿・遠両国への移封に伴いこれまでの藩領を上知し、上総国市原郡内に2万3千石余が与えられ、ここに移って菊間藩となった。2年藩知事に就任、4年廃藩置県により免ぜられる。17年子爵となり、27年頃より宮内省に出仕して御歌所参候をつとめた。

没年月日
明治40年8月17日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水野忠敬」の解説

水野忠敬 みずの-ただのり

1851-1907 幕末-明治時代の大名,華族
嘉永(かえい)4年7月10日生まれ。慶応2年(1866)駿河(するが)(静岡県)沼津藩主水野家に分家から養子にはいり,同家8代となる。戊辰(ぼしん)戦争では新政府軍に恭順,甲府城代に任じられて佐幕派鎮定にあたる。徳川宗家の駿府(すんぷ)入封により,上総(かずさ)(千葉県)菊間に転封(てんぽう)。のち子爵。明治40年8月17日死去。57歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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