ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「菊間」の意味・わかりやすい解説
菊間
きくま
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愛媛県北部、越智郡(おちぐん)にあった旧町名(菊間町(ちょう))。現在は今治市(いまばりし)の北西部(島嶼部は除く)を占める地域。高縄半島の西部にあり斎灘(いつきなだ)に臨む。JR予讃(よさん)線と国道196号が沿岸部を通過する。旧菊間町は、1908年(明治41)町制施行。1925年(大正14)歌仙(かせん)村、1955年(昭和30)亀岡(かめおか)村を合併。2005年(平成17)大西町など8町2村とともに今治市に合併。中世の荘園(しょうえん)名菊万(きくま)が近世に菊間郷に転じ、地名の由来となった。旧松山藩領で、地域の中心の浜は宿場であった。浜は菊間瓦(がわら)の生産地でもあり、近世には株仲間があって松山藩の保護を受けてきた。瓦製造は、粘土、燃料(松葉)の自給と内海水運によって発展し、現在は亀岡地区にも多くの工場立地をみる。農業はミカン栽培を主とし、また石油精製と原油の地下貯蔵プラントがある。加茂神社のお供馬(ともうま)(走り馬)行事は県指定無形民俗文化財。
[横山昭市]
『『菊間町誌』(2004・菊間町)』
千葉県市原市北部の地区。養老(ようろう)川と村田川に挟まれた旧菊間村の地域で、菊間国造(くにのみやつこ)の支配下にあって、東関山古墳(ひがしせきやまこふん)などが集中する古代文化の中心地であった。1868年(慶応4)に沼津から水野忠敬(ただのり)が転封されて菊間藩5万石を領したものの1871年(明治4)には廃された。
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