菊間(読み)きくま

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「菊間」の意味・わかりやすい解説

菊間
きくま

愛媛県北部,高縄半島北西部に位置する今治市南西部の旧町域。斎灘に面する。 1908年町制。 1955年亀岡村と合体。 2005年今治市,玉川町,波方町,大西町,吉海町,宮窪町,伯方町,上浦町,大三島町,朝倉町,関前村と合体。中心集落の浜は,今治街道宿場町で,戦国時代から菊間瓦の産地として知られ,江戸時代には松山藩が窯元を 27株に制限し保護した。瓦工場は海岸沿いに並び,原料の粘土は香川県で産出する丸亀土をおもに使用。第2次世界大戦後はセメント瓦の製造が発達。東部の亀岡には石油精製工場が設置されている。沖合シーバースがあり,1982年には石油地下備蓄プラントも完成した。農村部ではミカンの生産が多い。加茂神社祭礼のお供馬の走り込み行事が知られる。歌仙の滝は景勝地で,桜や紅葉の名所。

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百科事典マイペディア 「菊間」の意味・わかりやすい解説

菊間[町]【きくま】

愛媛県北部,高縄半島北西部にある越智(おち)郡の旧町。主集落の浜は今治(いまばり)街道の旧宿駅で予讃線が通じる。古くから菊間瓦の特産で知られる。ミカンを多産し,養豚・養鶏も行う。2005年1月越智郡玉川町,波方町,大西町,吉海町,宮窪町,伯方町,上浦町,大三島町,関前村,朝倉村と今治市へ編入。36.97km2。7741人(2003)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「菊間」の意味・わかりやすい解説

菊間(愛媛県)
きくま

愛媛県北部、越智郡(おちぐん)にあった旧町名(菊間町(ちょう))。現在は今治市(いまばりし)の北西部(島嶼部は除く)を占める地域。高縄半島の西部にあり斎灘(いつきなだ)に臨む。JR予讃(よさん)線と国道196号が沿岸部を通過する。旧菊間町は、1908年(明治41)町制施行。1925年(大正14)歌仙(かせん)村、1955年(昭和30)亀岡(かめおか)村を合併。2005年(平成17)大西町など8町2村とともに今治市に合併。中世の荘園(しょうえん)名菊万(きくま)が近世に菊間郷に転じ、地名の由来となった。旧松山藩領で、地域の中心の浜は宿場であった。浜は菊間瓦(がわら)の生産地でもあり、近世には株仲間があって松山藩の保護を受けてきた。瓦製造は、粘土、燃料(松葉)の自給と内海水運によって発展し、現在は亀岡地区にも多くの工場立地をみる。農業はミカン栽培を主とし、また石油精製と原油の地下貯蔵プラントがある。加茂神社のお供馬(ともうま)(走り馬)行事は県指定無形民俗文化財。

[横山昭市]

『『菊間町誌』(2004・菊間町)』



菊間(千葉県)
きくま

千葉県市原市北部の地区。養老(ようろう)川と村田川に挟まれた旧菊間村の地域で、菊間国造(くにのみやつこ)の支配下にあって、東関山古墳(ひがしせきやまこふん)などが集中する古代文化の中心地であった。1868年(慶応4)に沼津から水野忠敬(ただのり)が転封されて菊間藩5万石を領したものの1871年(明治4)には廃された。

[山村順次]

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改訂新版 世界大百科事典 「菊間」の意味・わかりやすい解説

菊間 (きくま)

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