コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

安国寺恵瓊 あんこくじ えけい

9件 の用語解説(安国寺恵瓊の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

安国寺恵瓊

安土・桃山時代臨済宗の僧東福寺二百二十四世。安芸生。恵瓊は法諱、道号は瑶甫、号は一任斎・正慶、俗姓武田、幼名竹若丸。安国寺竺雲慧心につき出家、上洛後東福寺に入る。安国寺住持・東福寺退耕庵主を経て、東福寺・南禅寺の住持となる。毛利氏の外交僧として活躍、毛利・豊臣両氏の間の和睦に尽し、以後秀吉に重用される。慶長5年(1600)寂、63才。(一説に64才)。

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

あんこくじ‐えけい〔‐ヱケイ〕【安国寺恵瓊】

[?~1600]安土桃山時代臨済宗の僧。安芸(あき)の人。豊臣秀吉の信任を得て寺領を与えられ、東福寺安国寺を復興。関ヶ原の戦いには石田三成側につき、捕らえられて斬られた。恵瓊。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

安国寺恵瓊【あんこくじえけい】

安土桃山時代の安芸(あき)安国寺の僧。字は瑶甫(ようほ)。生来機略弁才に富み,1573年織田信長足利義昭,1582年羽柴(豊臣)秀吉と毛利輝元の間を調停した。
→関連項目安国寺建仁寺不動院

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

安国寺恵瓊 あんこくじ-えけい

?-1600 織豊時代の僧。
臨済(りんざい)宗。安芸(あき)(広島県)の人。京都東福寺の竺雲慧心(じくうん-えしん)に師事。安芸安国寺住持などをへて,慶長5年南禅寺住持となる。この間,外交僧として毛利輝元と豊臣秀吉との講和を成立させ,秀吉の信任をえて大名の待遇をうける。朝鮮出兵にも従軍。関ケ原の戦いで西軍に属して敗れ,慶長5年10月1日京都六条河原できられた。享年は63歳とも,64歳とも。俗姓は武田。別号に瑶甫(ようほ),一任斎。
【格言など】信長の代五年三年は持たるべく候,……左候て後,高ころびにあおのけにころばれ候ずると見え申候(本能寺の変の10年前に送った書状)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

安国寺恵瓊

没年:慶長5.10.1(1600.11.6)
生年:生年不詳
安土桃山時代の臨済宗の僧,戦国大名。瑶甫と号す。安芸国(広島県)守護武田氏の出身。安芸国安国寺(当時臨済宗東福寺末寺,現在の真言宗不動院)に入り,竺雲恵心の弟子となる。毛利氏の信任を得,安芸国安国寺,備後国(広島県)鞆の安国寺の住持を兼ね,使僧として京都と毛利氏の調停に当たる。天正1(1573)年には足利義昭と織田信長の争いのなか,義昭のため奔走し,この間,天下の情勢を見抜き,信長の天下の短いことと豊臣秀吉の有望さを予言したことは有名である。義昭を奉じて毛利氏の勢力拡大を図るが,秀吉の備中(岡山県)高松城攻めの際には毛利と秀吉の講和を進め,これにより,秀吉はいち早く京都へ戻り,天下を制することができた。このころから秀吉の信厚く,その使僧として働き四国平定により,伊予国(愛媛県)に2万3000石の所領を与えられ,のちに6万石を有する大名となった。文禄・慶長の役では秀吉の命で朝鮮に赴き,戦闘にも加わった。やがて,毛利家内部の吉川広家と対立するようになり,関ケ原の戦では,豊臣方に毛利氏を引き入れようとするも,広家らの裏切りを受け,西軍の敗北となり,捕らえられ,石田三成,小西行長と共に大坂,堺を引き回され京都六条河原で斬られる。享年63,4歳といわれる。一方,東福寺住持ともなり,建仁寺方丈をはじめ多くの寺社の復興に努めた。まさに動乱のなかを生きた政僧の代表といえよう。<参考文献>河合正治『安国寺恵瓊

(原田正俊)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

あんこくじえけい【安国寺恵瓊】

1538?‐1600(天文7?‐慶長5)
安土桃山時代の僧,政治家。瑶甫恵瓊。安芸守護武田氏の出身。安芸安国寺で出家し,のち東福寺の竺雲恵心に師事,1569年(文禄12)安国寺住持,79年(天正7)東福寺退耕庵主となった。これよりまえ恵瓊は毛利氏のため北九州に従軍し,69年立花城攻囲のため活躍したのをはじめ,諸戦国大名と毛利氏との間を斡旋した。73年上洛して将軍足利義昭の帰洛のことを織田氏に周旋したとき,信長と木下(豊臣)秀吉の将来を予言したことは有名である。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

あんこくじえけい【安国寺恵瓊】

恵瓊の通称。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

安国寺恵瓊
あんこくじえけい

[生]? 安芸,沼田
[没]慶長5(1600).10.1. 京都
安土桃山時代の僧。安芸国安佐郡銀山城主武田氏の遺族。字は瑤甫。幼名は竹若。初め安国寺竺雲に師事し,天正7 (1579) 年法兄真渓の命を受けて東福寺退耕庵に住し,さらに南禅寺に移ったが,のち再び安芸安国寺に兼住した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

安国寺恵瓊
あんこくじえけい
(?―1600)

安土(あづち)桃山時代の禅僧、政治家。号は瑤甫(ようほ)。安芸(あき)安国寺、備後(びんご)安国寺、京都東福寺住持。安芸国(広島県)銀山(かなやま)城主武田信重(たけだのぶしげ)の子という。永禄(えいろく)(1558~1570)末年から毛利(もうり)氏の外交僧。1573年(天正1)将軍足利義昭(あしかがよしあき)と織田信長の不和調停のため上京し、信長方の木下(豊臣(とよとみ))秀吉と交渉を重ねたが、このとき早くも10年後の信長の運命と、秀吉の将来性を予言した。1582年、秀吉の備中(びっちゅう)高松城攻めに際し、毛利方として秀吉と折衝、講和を成立させた。この後は毛利方としてよりは秀吉の家臣としての働きが多く、秀吉の四国征伐後は伊予国(愛媛県)和気(わけ)郡で2万3000石をあてがわれて、豊臣大名の一員となった。九州征伐、文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役には目付(めつけ)または奉行(ぶぎょう)として功があり、慶長初年には伊予で6万石を領した。関ヶ原の戦いには主脳として西軍に加わったが、ともに南宮山(なんぐうさん)に陣した毛利勢が、同族の吉川広家(きっかわひろいえ)に遮られて、戦わないまま敗走したので、恵瓊も戦場を逃れた。のち京都に潜伏中を捕らえられ、慶長5年10月1日、石田三成(みつなり)、小西行長(ゆきなが)とともに六条河原で斬(き)られた。[岡本良一]
『河合正治著『安国寺恵瓊』(1989・吉川弘文館) ▽三宅孝太郎著『安国寺恵瓊――毛利の参謀といわれた智憎』(PHP文庫)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の安国寺恵瓊の言及

【建仁寺】より

…南北朝期に入って五山第3位に列位され,五山文学活動の中心的存在となった。幾度か火災にあったが,1552年(天文21)諸堂宇を全焼し荒廃していたものを,安国寺恵瓊(えけい)が再建に努力し,安芸安国寺の方丈,東福寺の茶堂などを移建して旧観に復した。盛時には塔頭(たつちゆう)64院を数えたが,現在は減少して14院となり,ほかに末寺70ヵ寺を擁している。…

※「安国寺恵瓊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

安国寺恵瓊の関連キーワード集堯仁如雲英宗偉正韵福島慶道文閑山岡如軒安土桃山時代済家雪蹊寺伊勢・安土桃山文化村

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone

安国寺恵瓊の関連情報