朝日日本歴史人物事典 「水野正名」の解説
水野正名
生年:文政6.5(1823)
幕末の尊攘派久留米藩士。諱は正名。岩次郎,丹後と称し渓雲斎,鴻州と号す。父は,同藩家老水野正芳。天保14(1843)年,奏者番。天保学連に参加,嘉永4(1851)年,藩政改革意見を建白。翌5年,嘉永大獄により幽閉。文久3(1863)年5月,中山忠光,長州藩の圧力などで赦免,6月,藩命により上京,学習院御用掛。8月18日の政変に際し七卿に従って長州に,慶応1(1865)年に五卿と共に太宰府に移り近侍。王政復古により帰藩,明治1(1868)年2月,藩参政,中央政府に招かれたが藩主の意向を尊重して辞退したという。同10月に公議人,翌年11月,藩大参事。同4年3月,大楽源太郎を匿ったかどで逮捕され終身刑,弘前で獄死。
(吉田昌彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報