日本歴史地名大系 「氷取村」の解説 氷取村こおりとりむら 岐阜県:安八郡安八町氷取村[現在地名]安八町氷取・城(しろ)森部(もりべ)輪中の西部に位置し、南は大野(おおの)村、北は南今(みなみいま)ヶ淵(ふち)村、西は中須(なかず)輪中。享和三年(一八〇三)の仮名附帳(蓬左文庫蔵)では「こりとり」と訓じている。村名の由来は、日本武尊が伊吹の賊を討った際に、水ごりした故事や、かつて当地に神社がなく、北西の大明神(だいみようじん)村白髭(しらひげ)神社の神事の折、水ごりした旧地と伝えるなどの説がある(名森村史)。室町期には竹(たけ)ヶ鼻(はな)城(現羽島市)城主不破源六の弟不破大炊頭の居城があったと伝え、豊臣秀吉の竹ヶ鼻城水攻めの際にともに落城し、西の堤外に字城(しろ)の地がある(濃州徇行記)。慶長郷帳に「こり取村」とみえ、村高三八二石余。元和二年(一六一六)尾張藩領となり(明暦覚書)、幕末に至る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by