大明神村(読み)だいみようじんむら

日本歴史地名大系 「大明神村」の解説

大明神村
だいみようじんむら

[現在地名]安八町大明神

揖斐いび川左岸に位置し、一村で大明神輪中を形成、北東北今きたいまふち村。村名の由来は、当地にむすび大明神の一の鳥居があったこと、あるいは当地に白髭しらひげ大明神があることによると伝える。康暦二年(一三八〇)三月一一日の源義藤寄進状(案、立政寺文書)に「大明神之直西六段畠」とみえ、そのうちの一反が源義藤から立政りゆうしよう(現岐阜市)に寄進されている。これは当地のことであろうか。


大明神村
だいみようじんむら

[現在地名]浜松市中野町なかのまち松小池町まつこいけちよう

中野町村の北、天竜川右岸に位置。中世池田いけだ庄の北西隅にあたるとみられ、鎮守として松尾まつお大明神(現大神社)が勧請され、それが村名となったといわれる。松尾村とも称されたという(遠淡海地志)。豊田郡に属した。松平忠頼領郷村帳では高四三石余、田六町二反余・畑一町八反余、ほか松尾明神領三五石。元和五年(一六一九)には幕府領(池田川西代官所高帳)正保郷帳では田二六石余・畑一五石余のほか、大明神領三五石。正保郷帳、国立史料館本元禄郷帳、享保郷村高帳、旧高旧領取調帳では浜松藩領で、寛文四年(一六六四)太田資宗領知目録、享保一六年(一七三一)の松平信祝領知目録、明和九年(一七七二)浜松藩井上氏の城附領分村々高帳写、天保一〇年(一八三九)の水野忠邦領知目録写に村名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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