日本歴史地名大系 「永明寺跡」の解説
永明寺跡
えいめいじあと
慈山永訓禅師(真珠院の末寺法蔵寺の寺籍明細帳に「大永三癸未七月十六日寂」とある)は本寺真珠院(現静岡県清水市)の第二世で、頼満の法名は「永明寺殿西周宗昌大居士」である。天文一一年(一五四二)諏訪氏滅亡後は武田氏の統治下に四〇年、武田氏滅亡後は日根野氏の統治下におよそ一〇年置かれたが、慶長六年(一六〇一)諏訪頼忠・頼水父子が上州から諏訪の旧領に復帰し、頼忠によって再興され、頼忠は同一〇年同寺に葬られた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報