朝日日本歴史人物事典 「諏訪頼忠」の解説
諏訪頼忠
生年:天文5(1536)
安土桃山時代の武将。信濃国高島(諏訪)藩主。満隣の子。幼名小太郎。安芸守。従兄弟に当たる諏訪総領家当主頼重(南北朝時代の頼重とは別人)が天文11(1542)年武田信玄により自刃させられたため,流寓の身となる。諏訪郡は天正10(1582)年の武田氏滅亡後織田信長により河尻秀隆に与えられたが,6月に信長が死ぬと頼忠は諏訪家旧臣千野氏らに擁立されて本領を回復した。一時北条氏直に属し徳川家康軍と戦うが,のち家康に従い同11年所領を安堵された。同18年の小田原攻めに参陣し,家康の関東移封に伴って武蔵国奈良梨に,さらに2年後には上野国総社に移った。慶長5(1600)年の関ケ原の戦では江戸城を守り,この功により嫡子頼水と共に諏訪の旧領に復帰した。なお没年を慶長10年とする説もある。<参考文献>『諏訪家譜』(『諏訪史料叢書』27巻),『諏訪の近世史』
(笹本正治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報