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諏訪頼忠 すわ よりただ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

諏訪頼忠 すわ-よりただ

1536-1605 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)5年生まれ。諏訪頼水(よりみず)の父。天正(てんしょう)10年武田氏,織田氏の滅亡後,千野氏ら旧臣に擁立されて諏訪氏の旧領を回復。のち徳川家康に属して小田原攻めに活躍,信濃(しなの)(長野県)高島藩の基礎をきずいた。慶長10年8月11日死去。70歳。通称は小太郎

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

諏訪頼忠

没年:慶長11.8.11(1606.9.13)
生年:天文5(1536)
安土桃山時代の武将。信濃国高島(諏訪)藩主。満隣の子。幼名小太郎。安芸守。従兄弟に当たる諏訪総領家当主頼重(南北朝時代の頼重とは別人)が天文11(1542)年武田信玄により自刃させられたため,流寓の身となる。諏訪郡は天正10(1582)年の武田氏滅亡後織田信長により河尻秀隆に与えられたが,6月に信長が死ぬと頼忠は諏訪家旧臣千野氏らに擁立されて本領を回復した。一時北条氏直に属し徳川家康軍と戦うが,のち家康に従い同11年所領を安堵された。同18年の小田原攻めに参陣し,家康の関東移封に伴って武蔵国奈良梨に,さらに2年後には上野国総社に移った。慶長5(1600)年の関ケ原の戦では江戸城を守り,この功により嫡子頼水と共に諏訪の旧領に復帰した。なお没年を慶長10年とする説もある。<参考文献>『諏訪家譜』(『諏訪史料叢書』27巻),『諏訪の近世史』

(笹本正治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の諏訪頼忠の言及

【諏訪氏】より

…中・近世の信濃の豪族。諏訪上社大祝(おおほうり)家。神氏を称した。出自・系譜には諸説がある。神為仲が源義家の東征に従い,保元の乱には平吾らが源義朝の軍に加わっていた。盛重は源頼朝に仕え諏訪太郎と称し,以後鎌倉幕府御家人となり,また北条氏の御内人でもあった。1335年(建武2)の中先代の乱では頼重が一族をあげて挙兵し,北条時行を奉じて一時は鎌倉を占領したが,結局足利尊氏に敗れた。のち宗良親王を奉じて南朝にくみした。…

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