永松春洋(読み)ナガマツ シュンヨウ

20世紀日本人名事典 「永松春洋」の解説

永松 春洋
ナガマツ シュンヨウ

明治〜昭和期の南画家



生年
嘉永2年12月17日(1850年)

没年
昭和6(1931)年2月6日

出生地
豊後国東国東郡馬場村(大分県安岐町)

本名
永松 孝三郎

別名
別号=汲古園

経歴
山水画を杵築の十市王洋に、花鳥画を木下橘巣について学び、のち大阪に出て田能村直入の門に入る。以来、大阪に住し絵を続け、多くの子弟を育成し、南画の再興足跡を残した。明治30年第1回全国絵画共進会で3等銅牌を受賞したのをはじめ各地の絵画共進会や内国勧業博覧会、日本美術協会展、日本画会展で受賞を重ね、日本美術協会会員、日本画会会員、名古屋中央南宗画会会員となる。関西では南画界の泰斗とされ、育てた弟子たちは後日「雲燎会」を組織して活躍した。各種の公共事業に度々私財を投じたことでも有名。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永松春洋」の解説

永松春洋 ながまつ-しゅんよう

1850*-1931 明治-昭和時代前期の日本画家。
嘉永(かえい)2年12月17日生まれ。十市(とおち)王洋に文人画をまなび,のち田能村直入の門にはいった。昭和6年2月6日死去。83歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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