江ノ浦村(読み)えのうらむら

日本歴史地名大系 「江ノ浦村」の解説

江ノ浦村
えのうらむら

[現在地名]飯盛町開名ひらきみよう平古場名ひらこばみよう佐田名さだみよう久保名くぼみよう下釜名しもがまみよう後田名うしろだみよう上原名うえはらみよう中山名なかやまみよう野中名のなかみよう山口名やまぐちみよう

現飯盛町域の東部に位置し、南は八天はつてん岳などを水源とする江ノ浦川が南流してたちばな湾に注ぐ。江浦とも記され、古くは大屋おおやノ郷と称したという。河口部西岸を船津ふなつと称するが、文永八年(一二七一)一一月一九日の関東下知状(宗像神社文書)伊佐早いさはや庄内長野ながの村内浦福地うらふくじ(現諫早市)をめぐって宗像氏業・長野氏郷らを訴えた船津次郎家重は当地を拠点とする者と考えられ、治承三年(一一七九)に祖父高家が江大夫助宗から浦福地を譲り受けたと主張したが、敗訴している。江ノ浦は中世伊佐早庄のうちで、応安元年(一三六八)四月七日の薩摩肥前両国檀那願文(熊野本宮大社文書)に「たかくこおりいさはゑのしやうゑのうら」とみえ、「ミのはうけんくわい」の名がみえる。暦応二年(一三三九)および同三年九州探題の一色道猷より江浦六郎次郎入道らは、伊佐早戸石といし(現長崎市)・「湯江大野田崎村」(現有明町か、高来町か)などの地頭職を深堀政綱に沙汰付けするように命じられている(同二年八月二七日・同三年五月四日「一色道猷書下」深堀文書)。この江浦氏は当地名を名乗ることから在地の者と考えられる。正平二五年(一三七〇)二月九日の大江むねなか売券案(同文書)の奥に「ゑのうらのひこたらう」と追記されていることから、むねなかと江浦彦太郎は同一人という指摘もある。江浦氏の勢力下にあったとされるかこい城・平古場城の遺構がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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