伊佐早(読み)いさはや

日本歴史地名大系 「伊佐早」の解説

伊佐早
いさはや

中世にみえる高来たかく郡内の地名伊佐早庄の中心であったと考えられ、南北朝期から軍事・政治的拠点となった。元応二年(一三二〇)某月二七日の彼杵庄文書目録(東福寺文書)彼杵そのき庄内の「今村津田□浦」の一分領主として伊佐早十郎持通・同三郎通澄がみえており、当地を拠点とする勢力と推定される。同年伊佐早三郎通澄は高来西たかくさい伊福いふく(現瑞穂町)の相論で被告へ請文提出の催促を行っている(同年八月六日「鎮西下知状」大川文書)。嘉暦三年(一三二八)大河幸継(幸蓮)は子の幸満に「いさはへのふなこし」のうち「わにさきし」の勲功の田地屋敷山野河海などを譲っている(同年五月一三日「藤原幸蓮譲状」同文書)。暦応二年(一三三九)伊佐早三郎入道・江浦六郎次郎入道が湯江ゆえ(現高来町)地頭職などの打渡しを命じられている(同年八月二七日「一色道猷書下」深堀文書)

応安六年(一三七三)九月日の深堀時広軍忠状(深堀文書)に「伊佐早御陣」とみえ、今川満範は高来郡域の征西将軍宮勢力を抑えるため三月に伊佐早に着き、宇木うき城に立籠る伊佐早右近五郎・西郷藤三郎を攻撃、七月七日には神代こうじろ(現国見町)、九月六日には千々石ちぢわ(現千々石町)などと転戦している。当地には「伊佐早城」が築かれ(同七年六月日「福田兼愛軍忠状写」福田文書)、「北肥戦誌」「歴代鎮西志」などでも「伊佐早宇木ノ両城」城主降参を伝えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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