江口新田
えぐちしんでん
[現在地名]三和町江口
飯沼新田北部東側台地上に位置。東から飯沼新田に向かって落込む傾斜地に集落が形成され、その西端を東仁連川が南流。対岸の仁連江口に対して浜江口とよばれ、飯沼北部のくびれ部にあたる所から生じた地名といわれる。小字名は地形をとどめたものが多く、荒田淵・北浦・長沖・西ノ浦・浜・蓮堀・干上り・西浦など。元禄郷帳に村名がみえ、村内の共同墓地に正徳二年(一七一二)の墓碑が確認されることから、比較的古く開発された新田と考えられる。
江口新田
えぐちしんでん
[現在地名]中郷村江口新田
片貝村西方にあり、北西の岡川村との間は標高約三二〇メートルの大沼原とよばれる丘陵地帯。天和三年郷帳では高九五石余。旧高旧領取調帳では高一〇八石一斗余。当地には古くから関山三社権現(現妙高村)の支院江口の薬師堂があり、「やくし前」の地名が残る。当村の開発にも関山権現が関与していたと思われる。元禄七年(一六九四)の幕府裁許状(宝蔵院文書)に「検分之上今般之論処関山村之山野与雖相見、隣郷八ケ村山手米并江口村開発之年貢、従前々宝蔵院へ納米」とある。
江口新田
えぐちしんでん
[現在地名]広神村江口新田
「新編会津風土記」には、江口村と当村は「両村の田畠相錯て地界分がたし」とある。また住居は江口村枝村の長松地内にもある。天和三年郷帳には同所新田高二七石二斗余がある。正徳元年(一七一一)の村明細帳(山内昭三氏蔵)では田二町三反余・畑八反余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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