朝日日本歴史人物事典 「江戸重通」の解説
江戸重通
生年:弘治1(1555)
戦国時代の武将。常陸国(茨城県)水戸城主。忠通の嫡孫。幼名は愛千代丸。通称彦五郎。但馬守に任ず。永禄7(1564)年に祖父が死去,同10年には病弱な父通政も死去するなど,幼少年期は試練の日々を送る。長じては,その苦労を糧に常陸中央部を越えて鹿島・行方両郡にまで進出,佐竹氏の傘下に属しつつも常陸第2の勢力に成長する。結城晴朝の娘を妻に迎え,織田信長とも直接交渉するなど大名並みの地位と実力を築いたが,天正18(1590)年,石田三成,佐竹義宣らの策謀によって水戸城を奪取され,義父晴朝のもとへ逃れ結城で死去。<参考文献>『水戸市史』上
(市村高男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報