結城晴朝(読み)ゆうき はるとも

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「結城晴朝」の解説

結城晴朝 ゆうき-はるとも

1534-1614 戦国-江戸時代前期の武将
天文(てんぶん)3年8月11日生まれ。小山高朝(おやま-たかとも)の3男。伯父結城政勝(まさかつ)の養子となり,下総(しもうさ)結城城(茨城県)城主。天正(てんしょう)18年の小田原攻めでは豊臣方につく。同年徳川家康の次男秀康(ひでやす)を養子にむかえ家督をゆずる。慶長19年7月20日移封先の越前(えちぜん)北庄(きたのしょう)で死去。81歳。通称七郎

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367日誕生日大事典 「結城晴朝」の解説

結城晴朝 (ゆうきはるとも)

生年月日:1534年8月11日
安土桃山時代;江戸時代前期の武将
1614年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の結城晴朝の言及

【常陸国】より

…ついに後北条氏に荷担した大掾(府中),小田(小田),菅谷(土浦)などの諸氏は没落した。佐竹氏に次ぐ勢力を保持していた結城晴朝(下総結城城主)も秀吉の養子秀康(実は徳川家康次男)を養嗣子として自家の安全を図り,その領地は土浦方面を含む10万石余であった。このほか水谷(みずのや)(下館),多賀谷(たがや)(下妻)などの諸氏がいたが,佐竹・結城両氏に比してはるかに劣勢であった。…

※「結城晴朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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