朝日日本歴史人物事典 「結城晴朝」の解説
結城晴朝
生年:天文3(1534)
戦国時代の武将。下総国結城城(茨城県結城市)城主。通称七郎。左衛門督に任ず。小山高朝の3男,叔父結城政勝の養子。永禄2(1559)年,政勝の死とともに家督を継いで古河公方足利義氏を擁する北条氏康に属したが,翌年に上杉謙信の関東出陣が始まると,北条・上杉両氏の抗争の間隙をついてよく家名を保つ。のち上杉氏が後退して北条氏の圧力が強まると,佐竹・宇都宮・那須氏と団結してこれに対抗した。この間,同盟の証として宇都宮国綱の弟朝勝を養嗣子とするが,天正18(1590)年これを廃し,羽柴秀康を養子に迎えて家督を譲り,結城氏を10万1000石の豊臣大名に発展させた。慶長6(1601)年,秀康に従って越前へ移住したが,結城への愛着の念捨てがたく,しきりに願文を作成し結城帰城を願った。福井で十余年の余生を送った。<参考文献>『結城市史』4巻
(市村高男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報