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池玉瀾 いけの ぎょくらん

美術人名辞典の解説

池玉瀾

江戸中・後期の女流画家・歌人。京都生。池大雅の妻。母は祇園茶屋の百合女。名は町子、別号に松風葛覃居がある。柳沢淇園に学び、画は大雅に似ており、蘭竹梅菊を得意とした。また和歌も能くする。大雅と同じように自由三昧な生活をし、奇行・逸話等が多い。天明4年(1784)歿、57才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

池玉瀾 いけの-ぎょくらん

1727-1784 江戸時代中期の画家。
享保(きょうほう)12年生まれ。文人画家池大雅(いけの-たいが)の妻。柳沢淇園(きえん),のち大雅にまなぶ。山水の扇面画にすぐれる。祇園(ぎおん)の茶店をうけつぎ,夫妻ともに奇行の逸話をおおくのこしている。母百合(ゆり),祖母梶(かじ)はともに歌人。天明4年9月28日死去。58歳。京都出身。本姓は徳山。名は町。別号に松風,遊可。

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

池玉瀾

没年:天明4.9.28(1784.11.10)
生年:生年不詳
江戸中期の画家。京都祇園下河原通りの茶屋・松屋の女亭主百合の娘。本姓は徳山氏,名は町,号を松風,遊雅(可),室号を葛覃居,海棠窩といった。歌人である母より和歌を学び,柳沢淇園より南画を学ぶ。淇園の号玉桂より玉の一字を与えられ玉瀾と号した。のちに池大雅に南画を学び,真葛原(京都府)で大雅と同居し,徳山玉瀾の名で書画を描く。ふたりの仲むつまじい姿は頼山陽の「百合伝」ほかに記され,終日仲よく紙を並べて書画に親しむさまが伝えられている。玉瀾の画風は大雅のそれを祖述したものだが,やや構成力に欠けるためか大作が少なく,小品にすぐれた作品が多い。また,母百合の和歌を加えた合作も伝えられ,母と娘の強い結びつきが知られる。玉瀾の墓は百合の墓所である京都黒谷の西雲院にあり,大雅の墓のある浄光寺ではない。大雅との仲むつまじさを伝えられているのに別葬されていることは,書画において父方の姓徳山を称したことも含めて謎に包まれている。没年齢については過去帳には58歳,大雅堂5世定亮の談話では62歳,また57歳説もあって定かではないが,過去帳を信ずれば生年は享保12(1727)年となる。作品に「滝山水図」(出光美術館蔵)ほかがある。

(安村敏信)

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世界大百科事典内の池玉瀾の言及

【池大雅】より

…流麗な中に堅牢な構築性を示す独特の書は,江戸書道史上有数のものである。また大雅の妻池玉瀾(1728‐84)も閨秀(けいしゆう)画家として著名で,大雅の教えを受けながらも,その感性豊かな女性特有の柔和な様式は大いに人気を得た。十便十宜図【佐々木 丞平】。…

※「池玉瀾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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