朝日日本歴史人物事典 「池玉瀾」の解説
池玉瀾
生年:生年不詳
江戸中期の画家。京都祇園下河原通りの茶屋・松屋の女亭主百合の娘。本姓は徳山氏,名は町,号を松風,遊雅(可),室号を葛覃居,海棠窩といった。歌人である母より和歌を学び,柳沢淇園より南画を学ぶ。淇園の号玉桂より玉の一字を与えられ玉瀾と号した。のちに池大雅に南画を学び,真葛原(京都府)で大雅と同居し,徳山玉瀾の名で書画を描く。ふたりの仲むつまじい姿は頼山陽の「百合伝」ほかに記され,終日仲よく紙を並べて書画に親しむさまが伝えられている。玉瀾の画風は大雅のそれを祖述したものだが,やや構成力に欠けるためか大作が少なく,小品にすぐれた作品が多い。また,母百合の和歌を加えた合作も伝えられ,母と娘の強い結びつきが知られる。玉瀾の墓は百合の墓所である京都黒谷の西雲院にあり,大雅の墓のある浄光寺ではない。大雅との仲むつまじさを伝えられているのに別葬されていることは,書画において父方の姓徳山を称したことも含めて謎に包まれている。没年齢については過去帳には58歳,大雅堂5世定亮の談話では62歳,また57歳説もあって定かではないが,過去帳を信ずれば生年は享保12(1727)年となる。作品に「滝山水図」(出光美術館蔵)ほかがある。
(安村敏信)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報