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池田光仲 いけだみつなか

美術人名辞典の解説

池田光仲

江戸前期の大名。因幡国鳥取藩主。父は備前岡山藩主池田忠雄の長男。幼名は勝五郎。忠雄の死後、三才で家督を継ぐが、従兄池田光政との国替えによって備前国岡山藩より因幡国鳥取藩に移封させられ、初代藩主となる。治世54年間で、治水・開墾・新田開発などをおこない、鳥取藩政の基礎を固めた。元禄6年(1693)歿、64才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

池田光仲 いけだ-みつなか

1630-1693 江戸時代前期の大名。
寛永7年6月18日生まれ。備前岡山藩主池田忠雄(ただかつ)の長男。寛永9年3歳で家督をついだが,従兄池田光政との国替えにより因幡(いなば)鳥取藩主池田(松平)家初代となる。32万石。城下の市街を整備し,治水,植林,新田開発などの諸施策をおこない,治世54年間に藩政の基礎をかためた。元禄(げんろく)6年7月7日死去。64歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

池田光仲

没年:元禄6.7.7(1693.8.8)
生年:寛永7.6.18(1630.7.27)
江戸前期の鳥取藩主。幼名は勝五郎,のち相模守を称する。備前岡山藩主池田忠雄の長男,母は阿波徳島藩主蜂須賀至鎮の長女。寛永9(1632)年6月18日に3歳で父の遺領を相続したが,幼稚のゆえをもって,因幡・伯耆両国32万石に封を移され鳥取城に住した。幕府からは叔父の池田輝澄や老臣荒尾内匠・志摩らに対して,合議のうえで国務を沙汰すべきことが命ぜられた。また従兄弟で岡山藩主であった池田光政からも,しばしば助言を得るなどして光仲のもとで鳥取藩政はその基礎を築き,鳥取市街の整備,治水,植林,新田開発などの諸政策を推し進めた。貞享2(1685)年に隠居し,鳥取城で死去。<参考文献>梶川栄吉『池田光仲公』(鳥取県立図書館蔵)

(笠谷和比古)

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世界大百科事典内の池田光仲の言及

【因幡国】より

…このうち,鳥取城を修築,城下町を整備した池田長吉,東南アジアの地に幕府の公認の朱印船を3度も派遣し海外貿易を行った亀井茲矩のことが有名である。17年(元和3)姫路城から鳥取城に移封させられた幼少の大名池田光政は,伯耆・因幡両国32万石を支配することになったが,32年(寛永9)岡山城主で従兄弟の池田光仲との領地の交換を命ぜられ転封した。これ以後因・伯両国は光仲を初代とする鳥取池田氏の支配下におかれ,明治維新にいたった。…

【鳥取[市]】より

…旧袋川の南方に新たに河道を掘削して,それを袋川とし,城の外構すなわち防御用の堀および城下町と外港賀露との運河の役割を果たさせることにし,城郭に接近していた寺院・町家をその土手の近くに移し,跡地は侍町(武家屋敷)とした。光政の治政15年ののち,32年(寛永9)備前岡山城主池田光仲が,従兄にあたる光政と交替して転封し鳥取城主となり,以後12代慶徳まで因・伯両国を支配した。入部のとき,小者らを含む家臣ら約2800人(《保定纂要》巻二)とその家族,慶安寺など寺院や御用達商人などが随従した。…

【鳥取藩】より

…また領内の米子,倉吉,鹿野の旧城下には家老を配置して,領内統制を強化した。池田光政は1632年(寛永9)従弟池田光仲(3歳)と交替して,備前国岡山に移封された。 岡山から入部した光仲は徳川家康の外曾孫という関係から,32万石の外様大藩でありながら親幕的な性格をもった。…

※「池田光仲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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