朝日日本歴史人物事典 「池田光仲」の解説
池田光仲
生年:寛永7.6.18(1630.7.27)
江戸前期の鳥取藩主。幼名は勝五郎,のち相模守を称する。備前岡山藩主池田忠雄の長男,母は阿波徳島藩主蜂須賀至鎮の長女。寛永9(1632)年6月18日に3歳で父の遺領を相続したが,幼稚のゆえをもって,因幡・伯耆両国32万石に封を移され鳥取城に住した。幕府からは叔父の池田輝澄や老臣荒尾内匠・志摩らに対して,合議のうえで国務を沙汰すべきことが命ぜられた。また従兄弟で岡山藩主であった池田光政からも,しばしば助言を得るなどして光仲のもとで鳥取藩政はその基礎を築き,鳥取市街の整備,治水,植林,新田開発などの諸政策を推し進めた。貞享2(1685)年に隠居し,鳥取城で死去。<参考文献>梶川栄吉『池田光仲公』(鳥取県立図書館蔵)
(笠谷和比古)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報