沙汰寺跡(読み)さたじあと

日本歴史地名大系 「沙汰寺跡」の解説

沙汰寺跡
さたじあと

[現在地名]宮崎市下北方町

塚原(つかばる)にあった真言宗の寺院。「上井覚兼日記」天正一一年(一五八三)閏正月九日条によると、前日和知川原(わちがわら)の斎藤讃岐丞宅に泊まった覚兼は朝食をとりながら歓談した後、沙汰寺に年頭の礼を述べに訪れており、一一日にはその返礼として当寺僧が酒肴持参で宮崎城の覚兼のもとを訪れ、終日酒と茶湯などで雑談している。同年四月二七日、島津義久のため諸寺社に祈祷を命じた覚兼は二九日、祈祷の様子や義弘の気分を聞くため鹿児島へ当寺僧を使者として遣わしている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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