下北方村(読み)しもきたかたむら

日本歴史地名大系 「下北方村」の解説

下北方村
しもきたかたむら

[現在地名]宮崎市下北方町・大工だいく一丁目・大工・祇園ぎおん矢の先町やのさきちよう神宮西じんぐうにし神宮じんぐう・神宮二丁目・神宮東じんぐうひがし一―三丁目・和知川原わちがわら鶴島つるのしま一―二丁目・鶴島・丸山まるやま大橋おおはし船塚ふなつか霧島きりしま神宮町じんぐうちようなど

南流する大淀川左岸に位置し、同川は村の南端で流れを東に転ずる。宮崎郡に属し、「しもきたがた」ともよばれる。南東上別府かみべつぷ村、北西は上北方村、大淀川の対岸小松こまつ村・大塚おおつか村。東西に本庄ほんじよう(現国富町)へ至る道が通る。中世は宮崎庄北方に含まれ、もと上北方村と一村であった。天正一六年(一五八八)八月四日の高橋元種宛の日向国知行方目録には北方七〇町とある。


下北方村
しもきたがたむら

[現在地名]本郷町下北方

上北方村の東に位置し、東を沼田ぬた川が流れる。村の北部は山地で、南端を沼田川の支流梨和なしわ川と合した尾原おばら川が東流。山麓南端沿いに山陽道が東西に通じ、原市はらいちかやいち(栢市)などの市場集落が形成された。沼田庄梨子羽なしわ郷に含まれた(→上北方村

茅ノ市は東は真良しんら(現三原市)、西は都宇つう(現竹原市)の中間に位置した「延喜式」所載の梨葉なしわ駅の所在地とされる。古代末期に沼田氏経営の市場となり、中世には小早川氏の本拠に近いため栄えたと思われ、近世には街道の両側に家が建並んで在郷町となったが、北側の家は上北方村分、南側東半分は下北方村分、西半分は南方みなみがた村分であった(国郡志下調書出帳)。茅ノ市の北側丘陵上には甑天満こしきてんまん神社があり、尾根続きの西端に高木山たかぎやま(沼田)城跡がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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