沢本頼雄(読み)サワモト ヨリオ

20世紀日本人名事典 「沢本頼雄」の解説

沢本 頼雄
サワモト ヨリオ

明治〜昭和期の海軍軍人



生年
明治19(1886)年11月15日

没年
昭和40(1965)年6月29日

出生地
山口県

学歴〔年〕
海軍兵学校〔明治41年〕卒,海軍大学校〔大正8年〕卒

経歴
明治43年小尉、44年中尉、大正3年大尉、「霧島」「常磐」「河内」分隊長を経て海大に入り、8年第3水雷戦隊参謀、9年少佐「薩摩」砲術長、10年軍務局第1課を経て12年イギリス駐在、13年英国大使館付武官補佐官、中佐、14年「五十鈴」副長、15年人事局第1課、昭和3年大佐、「天龍艦長、4年軍務局第1課長、7年「高雄」艦長、8年「日向」艦長、9年小将、10年海大教頭、11年艦政本部総務部長、12年第7戦隊司令官として日中戦争に参加、13年中将、14年海大校長、15年第2遣支艦隊司令官、16年海軍次官、日米開戦後在任東条英機内閣の下で戦争体制強化を図り、19年大将、軍事参議官、同年7月呉鎮守府長官となった。20年予備役、戦後、水交会理事長、同会会長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「沢本頼雄」の解説

沢本頼雄 さわもと-よりお

1886-1965 明治-昭和時代前期の軍人
明治19年11月15日生まれ。沢本与一の弟。第三水雷戦隊参謀などをへてイギリスに駐在。高雄(たかお),日向(ひゅうが)の艦長をつとめ,艦政本部総務部長,第七戦隊司令官などをへて,昭和16年海軍次官となる。19年呉(くれ)鎮守府司令長官。海軍大将。水交会理事長。昭和40年6月29日死去。78歳。山口県出身。海軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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