沢野村(読み)さわのむら

日本歴史地名大系 「沢野村」の解説

沢野村
さわのむら

[現在地名]七尾市沢野町

崎山さきやま半島の山間部、殿との村の東に位置する。北から栢戸かやど中村なかむら上沢うわそ松尾まつお垣内がある。上沢は上沢野の意。承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文に沢野村とみえ、公田数は三段六。弘治(一五五五―五八)から永禄(一五五八―七〇)初年頃と推定される正月六日の畠山義綱書状(笠松文書)には、能登国の内乱に際して「沢野村百姓」が反乱軍方に寝返ったため、七尾城にいた義綱方の笠松新介が鑓疵を負いながらも鎮圧したとある。


沢野村
さわのむら

[現在地名]小杉町沢野

太閤山たいこうやまランド北方、がめ堤・鬼沢おにざわ池周辺にあった村。江戸時代史料にはみえず、明治五年(一八七二)大区小区制実施時に一村として登場する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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