松尾神社(読み)まつおじんじや

日本歴史地名大系 「松尾神社」の解説

松尾神社
まつおじんじや

[現在地名]塩山市小屋敷

恵林えりん寺の東方にある。祭神は大山咋命・天照皇大神・足仲彦命・大己貴命・誉田別尊・気長足姫命。旧郷社。江戸時代末までは六所明神と称し、境内に松尾神・神明宮・八幡宮などが配祀されていた(甲斐国志)。「延喜式」神名帳にみえる山梨郡の「松尾マツノヲノ神社」を当社に比定する説がある(甲斐国志)。「社記」によれば、景行天皇四一年六月一三日松尾県直之が東方藤木ふじき組に勧請、仁寿元年(八五一)四月に小野直樹が勅命で奉幣し、貞観元年(八五九)一月に社殿が再建され、式内社に列せられてからは大嘗会・大解除・祈雨・止雨などのための奉幣が度々なされたと伝える。康平七年(一〇六四)八月に新羅三郎義光が現在地に移し、併せて山城石清水いわしみず八幡宮から八幡大神を勧請して合祀した。


松尾神社
まつおじんじや

[現在地名]山城町椿井 松尾

椿井つばい集落東方の丘陵上にある。しもの宮御霊ごりよう神社に対してかみの宮といわれ、山城町上狛かみこまはやし・椿井の鎮守社。祭神は月読つきよみ命・大山咋おおやまくい命。旧郷社。なお下の宮御霊神社は明治一三年(一八八〇)当社境内域に移された(京都府地誌)。社伝によれば天平勝宝年間(七四九―七五七)の勧請という。嘉吉元年(一四四一)の「興福寺官務牒疏」には「樺井かはい松尾神、在同郡同郷、土産神、神供僧五人、神人七人、文武帝大宝元年降臨、泰都理勧請也」と記す。


松尾神社
まつおじんじや

[現在地名]小矢部市松尾

松尾集落の西側丘陵麓の談議所だんぎしよに鎮座。近世まで松尾大明神・松尾明神と称した。祭神は大山咋命・市杵嶋比売命・倉稲魂神・少彦名命・猿田彦大神。旧村社。神社明細帳によると大同(八〇五―八一〇)頃、山城松尾神社(現京都市西京区)から分霊を勧請したと伝え、天正一四年(一五八六)頃、前田利勝(利長)の祈願所として松永まつなが庄のうち二五俵の地を与えられたが、元和三年(一六一七)の社領地取調の際廃止されたという。古くから蟹谷かんだ郷二七ヵ村の郷社と称し、衆庶の信仰が厚かった。


松尾神社
まつおじんじや

[現在地名]東郷町野花

西にしうえに鎮座。旧村社。祭神別雷命・大山咋神など一一柱。もとは光吉みつよしに鎮座し、羽合はわい郷・埴見はなみ郷の総氏神として祀られていたが、洪水のため社殿が流され野花のきようの「浜籔」に漂着し、氏子が同地に社地を開き祀ったと伝える。浜籔の地は御旅所とされており、また光吉には松尾屋敷まつおやしきと称する地がある(県神社誌)。本来、東郷庄の領家松尾社(現京都市西京区)によって勧請されたものであろう。正嘉二年(一二五八)一一月作成の東郷庄下地中分絵図に「松尾社西分」とみえ、鳥居と社殿が描かれている。


松尾神社
まつおじんじや

[現在地名]福知山市字土

つち集落の東南、段丘へ上る坂道に沿う森の中にある。祭神大山咋神・市杵島姫神・神功皇后。旧村社。

創建年代は不詳だが、当地雀部ささいべ庄が京都松尾社(現京都市西京区)に寄進された平安末期以降そう遠くない時代に荘鎮守として勧請されたと考えられる。神功皇后はのちに配祀されたものであろう。

「丹波志」には

<資料は省略されています>

とあり、もと石原いさ村に鎮座したと記す。同書にいう七ヵ村は雀部庄に属していたと考えられる前田まえだ川北かわぎた・土・戸田とだ・石原の五ヵ村のほかもと何鹿いかるが郡で、のち天田郡に入った観音寺かんのんじ村・おき村をさすか。


松尾神社
まつおじんじや

[現在地名]富来町町居

町居まちいの集落西方、日用ひよう川右岸に鎮座。大山咋命・玉依比売命を祀る。旧村社。承和元年(八三四)山城松尾社を勧請したと伝える。古くは松尾大明神と称し、町居・草木くさぎ日下田ひげたの惣社として崇敬され、西隣松尾寺が社僧を勤めた。永和元年(一三七五)八月二五日の宝殿造立棟札(社蔵)に「松尾明神宮 神主松尾寺」とあり、氏子として町居村・草木村・大滝おおだき村がみえる。本殿は宝永元年(一七〇四)再興されているが(社蔵棟札)、室町時代の様式をよく残しており、国の重要文化財に指定。


松尾神社
まつおじんじや

[現在地名]長門町大字長久保

笠取かさとり峠の麓宮所みやどころに祀る。京都の松尾神社より勧請、祭神は大山咋命。草創年代不詳、弘治三年(一五五七)社殿再建の記録がある(「松尾神社由緒書」長門町誌)。慶長四年(一五九九)社領四斗二升九合を真田信之が寄進している(長門町誌)。以前は長窪村の高台に位置していたが、長窪宿が境内より上の地籍にできたため、社が集落の下方になってしまった。昭和三三年(一九五八)現在の地に移転した。


松尾神社
まつおじんじや

[現在地名]盛岡市茶畑一丁目

八幡片原はちまんかたはら町の南、中野なかの館付近に鎮座。祭神は大山咋命・中津島姫命。宝永四年(一七〇七)領内の酒屋が京都松尾神社(現京都市右京区)かみ町に勧請、元文五年(一七四〇)現在地に遷座。別当は天台宗法蔵ほうぞう(御領分社堂)。法蔵院は当社の南並びにあり(元文城下図)、社領三〇石を有していたが(盛岡砂子)、のち廃寺となる。


松尾神社
まつおじんじや

[現在地名]宝塚市山本東一丁目

集落東端の丘陵田村の森たむらのもりにあり、東の宮さんとよばれる。山本やまもと地区の産土神。祭神は大山咋命、旧村社。坂上田村麻呂を祀って創立したと伝承するが、治承元年(一一七七)に山本庄の田畠山林が松尾大社(現京都市西京区)に売寄進されており(六月二八日「藤原清通沽却状案」松尾神社文書)、その縁により分祀され創建されたと思われる。


松尾神社
まつおじんじや

[現在地名]亀岡市西別院町犬甘野 宮の谷

祭神は大山咋命・市杵島姫命。旧村社。

創建年代は不詳。毎年七月第一日曜日に御田おんだの行事が行われる。起源は古く、室町時代から行われてきたといわれ、もとは七月最初の卯または酉の日であった。アトシ二人、早乙女二人、牛使い一人、太鼓叩き一人で行われ、早乙女は氏子の長男の中から二人の少年が選ばれる。社前での簡単な神事ののち、社前上下二段の広場を田になぞらえ、まずアトシが四隅を鍬でかく所作をし、次いで朴の葉で巻いた藁製の牛の胴を取り付けた唐鋤を持った牛使いが、軽口をたたきながら田をすき、田植えの準備をする。


松尾神社
まつおじんじや

[現在地名]松阪市立野町

立野たちのの南西、小高い森の頂上にある。旧郷社。立野明神あるいは立野の明神さんとよばれる。「延喜式」神名帳に記される立野神社に比定される。立野郷の産土神であったが、明治四〇年(一九〇七)立野村内の二社を合祀、翌年松尾神社と改め、旧松尾村内の各社を合祀。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「松尾神社」の解説

松尾神社

石川県羽咋郡志賀町にある神社。834年創祀と伝わる。祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)、玉依比売命(たまよりひめのみこと)。室町時代末期に建立された本殿は国の重要文化財に指定。

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