河俣御厨(読み)かわまたのみくりや

日本歴史地名大系 「河俣御厨」の解説

河俣御厨
かわまたのみくりや

皇室領大江おおえ御厨の一部で、古代若江郡川俣郷(和名抄)に設置された。かつて河内の平野部に広い池沼をつくって流れていた大和川諸流の水辺に位置した。延喜五年(九〇五)河内大江一帯に大江御厨が設定され、供御の魚類宮中の御厨子所に貢進するようになったとき、若江郡川俣はその領域に含まれ、大治―長承年間(一一二六――三五)頃には、河内水走氏の祖藤原季忠が「大江御厨山本河俣両執当職」に補任され、現地管理の任に当たった(建長四年六月三日「藤原康高譲状案」水走文書)。この河俣執当職は、建長四年(一二五二)六月に左衛門尉藤原康高から嫡男忠持に譲られ、以後忠雄・康政・忠名・忠直と水走氏の惣領がこれを伝領し、応永二三年(一四一六)当時も忠直の子水走式部丞長忠が、「本領惣領職」の一つとして「河俣御厨執当職」を知行している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の河俣御厨の言及

【大江御厨】より

…水走氏の4代目藤原康高の1252年(建長4)の譲状によると,水走氏所領は河内郡五条の屋敷一所をはじめ,山本・河俣両執当職その他池・河,諸郷長者職,諸庄下司公文職,国衙図師職,枚岡神社社務職,林四所,水走私領,諸寺俗別当職などに及んでおり,鎌倉期大江御厨の支配は,以上のように広範な勢力をもつ在地領主に支えられていた。室町時代の大江御厨は,内蔵寮長官を世襲した山科家が知行したが,そのころ大江御厨河俣は,もとの御厨から分立して河俣御厨と呼ばれ,やはり水走氏が執当職を伝領している。山科家領大江御厨は,応仁・文明の乱のころには不知行の地となっていた。…

※「河俣御厨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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