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大江御厨 おおえのみくりや

百科事典マイペディアの解説

大江御厨【おおえのみくりや】

河内国大和川流域から河口の摂津国に及ぶ地域にあった中世の荘園。当時の大和川は河内国の平野部を乱流しており,川沿いの現大阪府八尾市の山本,東大阪市御厨川俣(かわまた)などを含んだ。

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世界大百科事典 第2版の解説

おおえのみくりや【大江御厨】

中世の河内国中部一帯にあった皇室領荘園。朝廷の御厨子所(みずしどころ)の所管で,当時河内平野を乱流していた古大和川と,その流域に展開する〈河内の江〉および渡辺など沿岸の津をひろく領有し,天皇の食膳に供える供御(くご)の魚類を貢進した。延喜荘園整理令の直後の905年(延喜5)に,蔵人所と河内国司の発した文書によって成立。国中の池・河・津のほか,本田230町に及ぶ供御免田があり,その年貢で魚類を調達して毎日の供御にあてた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大江御厨
おおえのみくりや

河内(かわち)国内、現在の大阪府東大阪市を中心とした地にあった皇室領。この地は大和(やまと)川がつくる湖沼に、大阪湾が入り込み、大きな入り江をなしていた。古くから漁猟が盛んで、朝廷へ贄(にえ)として魚鳥を貢納する供御(くご)江に指定されていた。905年(延喜5)貢納を目的にした漁猟が許される領域は御厨として改めて確認され、御厨子所(みずしどころ)の管轄下に置かれた。漁猟は隣国摂津国にまで及び、各地で利権争いが生じている。このため1119年(元永2)領域を明確にし、漁猟が許される供御人の名簿をつくり、彼らに与えられている田地・在家(ざいけ)を調べるよう命令が出されている。1161年(応保1)には供御人に230町の田地が与えられていたことがわかる。しだいに米で魚鳥を買い集めて貢納するようになっていったらしい。貢納は減少しながら室町時代まで続いた。平安時代以来、現地の管理人を代々務めた水走(みずはや)氏が武士団に成長している。[富沢清人]
『『布施市史 第1巻』(1962・布施市)』

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世界大百科事典内の大江御厨の言及

【水走氏】より

…《水走系図》では河内国の豪族平岡連の後胤とし藤原姓を名のっている。12世紀初め祖始季忠が皇室領大江御厨山本・河俣執当職に補され,12世紀中ごろ河内郡水走の地を開発し水走氏を称した。御厨の現地管理者として供御を貢進したと思われるが,源平争乱期に源義経に従い御家人となり,勢力も若江郡,茨田(まんだ)郡に広げた。…

【渡辺】より

…古くは大渡,窪津などとも称された。平安時代より皇室領大江御厨(みくりや)の中心として供御人が居住し魚類などを貢進した。また交通の要所でもあり,京より四天王寺・住吉神社さらに熊野へ参るには,淀川を舟で下り渡辺で上陸し,熊野街道を南下する場合が多かった。…

※「大江御厨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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