河原市村(読み)かわらいちむら

日本歴史地名大系 「河原市村」の解説

河原市村
かわらいちむら

[現在地名]新旭町安井川やすいがわ

安曇あど川左岸にあり、西近江路に沿い、東は新庄しんじよう村、北は安養寺あんようじ村。川原市とも記される。応永三四年(一四二七)二月飛鳥井雅縁は越前へ向かう途中、「河原市とかや申所に志ばらく立寄そのつゞきに里有とへば今津と申す」と、当地に立寄っている(宋雅道すがら之記)。天正一一年(一五八三)八月の杉原家次知行目録(浅野家文書)では「北はた 河原市」とあり、高九一〇石余。

河原市村
かわらいちむら

[現在地名]金沢市河原市町

森下もりもと川中流右岸に位置。同川と支流涌波わくなみ川が地先で合流する。小原おはら越が通る。正保郷帳によれば高三四二石余、田方二一町九反余・畑方九反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高三七六石、免六ツ六歩(三箇国高物成帳)。寛文年間の家高数五・百姓数一七(高免付給人帳)。安政二年(一八五五)の高三〇一石、家数三六(うち頭振六)・人数二〇三、引免四歩(「高免家数人数等書上」亀田文書)。地内で森下川から取水する河原市用水は森下川流域および現津幡つばた町域までの山麓一帯一千町歩以上の田畑を灌漑する。

河原市村
かわらいちむら

[現在地名]美浜町河原市

木野きの村の南、みみ川の下流右岸に立地。丹後街道が村内を東西につらぬき、東は佐柿さがき村を経て敦賀へ、西は郷市ごいち村を経て小浜に達する。また当村より耳川に沿ってさかのぼり現滋賀県高島たかしま郡に通じる新庄しんじよう道があり、江戸時代から明治二〇年(一八八七)頃まで、この道を通って早瀬はやせ浦などの海産物が近畿地方へ搬出された(三方郡誌)。弘治二年(一五五六)六月の明通寺鐘鋳勧進算用状(林屋辰三郎氏蔵)に「百文 川原市」とある。寛永一二年(一六三五)八月、藩主酒井忠勝により河原市・中寺なかでら両村の検地が行われた(三方郡誌)。正保郷帳によれば田方六一九石余・畠方一五石余。文化四年(一八〇七)戸数は三八、人口一九七(雲浜鑑)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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