河合寺村(読み)かわいでらむら

日本歴史地名大系 「河合寺村」の解説

河合寺村
かわいでらむら

[現在地名]八日市市川合寺町かわいでらちよう東本町ひがしほんまち緑町みどりまち上之町かみのまち

さかい村の南東にあり、南は八日市村・蒲生がもう金屋かなや村。北東を愛知えち川が北流し、村域は南北に細長い。戦国期のものと推定される馬足子交名(今堀日吉神社文書)に「かわい寺」のまこ四郎・まこ五郎の名がみえる。寛永石高帳では高五八四石余、織田信長九男信貞系の旗本織田領。天正一九年(一五九一)豊臣秀吉より神崎郡に一千石の采地を与えられた織田信貞は当村に居館を構えたと伝える。

河合寺村
かわいでらむら

[現在地名]河内長野市河合寺・日東につとう町・大師だいし町など

長野ながの村から観心かんしん寺に向かう途中にあり、東を除く三方を長野村に囲まれる。丘陵に挟まれた狭い谷で人家は少ない。蘇我入鹿開基の伝承をもつ河合寺があり、村名の由来となった。応長元年(一三一一)五月日付河合寺寺僧等愁訴状案(河合寺文書)に「在錦部郡内長野郷 字河合寺」とみえ、当地が長野郷とよばれる地域に含まれたことが知られる。年未詳六月一八日付帥法印寄進状(同文書)によると、河合寺本尊の香花料として寄進された山林の四至は「東ハ山尾、南ハ寺元川、西ハ大道、北ハ谷田」であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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