朝日日本歴史人物事典 「河合屏山」の解説
河合屏山
生年:享和3.7.18(1803.9.3)
幕末姫路藩(兵庫県)の尊王攘夷派の中心となった家老。諱は良翰。父は同藩江戸詰藩士松下源太左衛門。文化2(1805)年同藩家老河合道臣(寸翁)の養子となり,天保6(1835)年家老職を継ぐ。嘉永6(1853)年良臣に家督相続し引退したが,その後出京し国事に奔走し同藩勤王党の中心となった。文久2(1862)年藩主酒井忠績の上京に際し家老を命じられる。藩主に攘夷を提議したが受け入れられず,逆に謹慎を命じられた(甲子の獄)。明治1(1868)年朝廷の命により藩政を執ることとなり新藩主酒井忠邦を補佐して守旧派を粛清した(戊辰の獄)。維新後,版籍奉還や貨幣制度改革をいち早く建言した。<参考文献>穂積勝次郎『姫路藩の人物群像』
(長井純市)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報