河合操(読み)カワイ ミサオ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「河合操」の解説

河合 操
カワイ ミサオ


肩書
枢密顧問官

生年月日
元治1年9月26日(1864年)

出生地
大分県

学歴
陸士明治19年〕卒 陸大〔明治25年〕卒

経歴
明治19年歩兵少尉、陸大卒業後歩兵第5連隊付、28年台湾総督府参謀、35年ドイツ留学。日露戦争には少佐で第4軍参謀、第3軍参謀副長で従軍した。戦後再びドイツ留学、帰国後陸大教官、軍務局歩兵課長、43年少将、歩兵第7旅団長、陸軍省人事局長、陸大校長、大正4年中将、6年第1師団長、10年関東軍司令官として満州赴任、同年4月大将、11年軍事参議官、12年参謀総長、15年予備役。昭和2年枢密顧問官、13年議定官となった。

没年月日
昭和16年10月11日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「河合操」の解説

河合 操
カワイ ミサオ

明治〜昭和期の陸軍大将 枢密顧問官。



生年
元治1年9月26日(1864年)

没年
昭和16(1941)年10月11日

出生地
大分県

学歴〔年〕
陸士〔明治19年〕卒,陸大〔明治25年〕卒

経歴
明治19年歩兵少尉、陸大卒業後歩兵第5連隊付、28年台湾総督府参謀、35年ドイツ留学。日露戦争には少佐で第4軍参謀、第3軍参謀副長で従軍した。戦後再びドイツ留学、帰国後陸大教官、軍務局歩兵課長、43年少将、歩兵第7旅団長、陸軍省人事局長、陸大校長、大正4年中将、6年第1師団長、10年関東軍司令官として満州へ赴任、同年4月大将、11年軍事参議官、12年参謀総長、15年予備役。昭和2年枢密顧問官、13年議定官となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河合操」の解説

河合操 かわい-みさお

1864-1941 明治-大正時代軍人
元治(げんじ)元年9月26日生まれ。日露戦争では満州軍参謀として出征。陸軍省人事局長,陸軍大学校長,第一師団長,関東軍司令官などを歴任し,大正10年大将,12年参謀総長となった。枢密顧問官。昭和16年10月11日死去。78歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「河合操」の解説

河合 操 (かわい みさお)

生年月日:1864年9月26日
明治時代-昭和時代の陸軍軍人。陸軍大将
1941年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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